葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「旧統一教会」批判を民族差別や植民地主義の「免罪符」にしてはならない。

いわゆる「旧統一教会問題」*1について、ネット右翼や一部のリベラル派は、「天皇をサタン呼ばわりする韓国の反日カルト教団が日本を食い物にしている」と言います。

「旧統一教会」に詳しい識者によれば、「植民地時代の民族的恨みを解くこととして、日本で資金を調達してそれを韓国に持ってきて世界的な活動に使う」ことが「旧統一教会」の本質を成しているそうですが*2、もしそうなら、「旧統一教会」は日帝の朝鮮植民地支配が生み出した「モンスター」だといえるでしょう。もちろん、「旧統一教会」による霊感商法献金の強要は、断じて許されるものではありません。しかし、そのことは、決して日帝の朝鮮植民地支配について日本の国民が負う「責任」*3を帳消しにするものではありません。「旧統一教会」に詳しい識者が「旧統一教会」の本質だと言う「植民地時代の民族的恨みを解く」点は、まさに日本の国民が真摯に向き合わなければならない日帝の朝鮮植民地支配という自国の「負の歴史」にかかわるものです。しかるに、日帝の朝鮮植民地支配という自国の「負の歴史」と真摯に向き合わなければならない日本の国民が、「天皇の国」が朝鮮を食い物にしたことを棚に上げて、「旧統一教会」の「植民地時代の民族的恨みを解く」点を非難するのは、盗人猛々しいと言わざるを得ません。

日本発祥のカルト教団も数多くあることからわかるように、カルトは韓国特有のものでは決してなく、それゆえ「韓国発祥であること」はカルト教団である「旧統一教会」の本質的な要素ではありません。しかるに、「天皇をサタン呼ばわりする韓国の反日カルト教団が日本を食い物にしている」と言うネット右翼や一部のリベラル派は、「旧統一教会」の本質的要素ではない「韓国発祥であること」をことさらに強調し「韓国が日本を食い物にしている」という構図を描くのですが、これは韓国を「悪魔視」することにほかなりません。韓国に対する敵意や憎悪が蔓延る日本社会において、かかる韓国「悪魔視」はヘイトクライムにつながりかねません。それゆえ、「旧統一教会」批判にかこつけて韓国を「悪魔視」することは厳に慎むべきです。

もちろん、日本の国民が「旧統一教会」を批判してならないと言うつもりはありません。しかし、日本の国民は、「旧統一教会」批判を民族差別や植民地主義の「免罪符」にしてはなりません。

「旧統一教会問題」について、日本の国民がくれぐれも忘れてならないのは、問題の元凶は、戦後の米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義体制の構築・発展を使命とする日本の政権与党たる自民党が、その使命を果たすべく同じ理念を共有する危険なカルト教団を利用してきたことにある、ということです。そして、日本の政権与党たる自民党による「旧統一教会」の利用は、日本の国民が「主権者」として向き合うべき日本の「内なる悪」にほかなりません。かかる日本の「内なる悪」は、当然のことながら日本の国民が「旧統一教会」批判にかこつけて韓国を「悪魔視」することでそれを韓国に背負わせても、決して解決しません。つまり、「旧統一教会問題」を根本的に解決するためには、米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義体制の構築・発展を使命とする自民党政権を打倒し、さらには天皇制を打倒することが必要なのです。

生活保護制度における国籍差別に断固として反対する。

世界人権宣言

 

第二十二条

すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。

日本では、生活保護制度における国籍差別を肯定する言説が後を絶ちません。

たしかに、最高裁判所は、2014年の「永住外国人生活保護訴訟」最高裁判決で、生活保護法第1条及び第2条がその適用の対象を「国民」と定めていることから「外国人は、行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象となり得るにとどまり、生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく、同法に基づく受給権は有しない」と判示しています*1(なお、同判決は、「外国人は……生活保護法に基づく保護の対象となるものではない」と判示するにとどまり、生活保護法で外国人に生活保護受給権を付与することが憲法上禁止されているか否かについては判示していません。したがって、同判決を根拠として援用した「在日外国人の生活保護受給は憲法違反である」という言説は誤りです*2。)。しかし、この最高裁判決は、生存権が普遍的権利たる人権であることを不当に軽視しています。

生活保護制度は、生存権を保障した憲法25条を具体化した制度です。そして、生存権は、「人種、性、身分、国籍などの区別に関係なく、人間であることに基づいて当然に享有できる権利」たる人権です。つまり、人権である生存権は国籍にかかわりなく享受することができる普遍的権利ですから、生存権を具体化した制度である生活保護制度における国籍差別は決して許されないことなのです。

生活保護制度における国籍差別を肯定する人は、「外国人の生活保護は出身国がやるべきことだ」と言います。たしかに、「生存権の保障は当該外国人が本来所属する国の責任である」とする学説もあります。しかし、人権は「国民の権利」ではなく人間の権利ですから*3、国は人権である生存権を守る責任を「国民」ではなく人間に対して負っているはずです。また、憲法25条が保障する生存権は「生活を営む権利」なのですから、これについては、現時点における生活の本拠こそが重要なのであって、国籍は全く重要ではありません。それゆえ、外国人の生存権保障は当該外国人が現在居住している国の責任であると考えるべきです。

憲法25条が保障する生存権は、「日本国民の特権」ではなく普遍的権利たる権ですから、「日本国民」でないことを理由に「外国」の生存権保障を否定するのは背理であると言わざるを得ません。私は、生活保護制度における国籍差別に断固として反対します。

日本は「台湾有事」に「巻き込まれる」のではない。

自民・麻生副総裁“「台湾有事」起きた場合、日本も戦争に巻き込まれる可能性ある”|日テレNEWS

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たしかに、「台湾有事」が起きた場合、日本はそれに参戦するかもしれません。しかし、日本が「台湾有事」に「巻き込まれる」というのは間違いです。

戦後の日本は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく憲法9条があるにもかかわらず、朝鮮戦争ベトナム戦争といった「アメリカの戦争」に加担し、憲法9条のおかげで自らの手を血で汚すことなく暴利をむさぼってきました。そして、世界第5位(2022年現在)の軍事大国に成長し*1、「集団的自衛権」の名の下に*2世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国であるアメリ*3侵略戦争に参加できるようになった日本は、アメリカと共に対中国戦争に向けた準備に主体的かつ積極的に取り組んでいます*4。つまり、日本は「台湾有事」に「巻き込まれる」のではなく、アメリカの同盟国として「台湾有事」に主体的かつ積極的に参戦するのです。

「台湾有事」に関しては、アメリカが「中国による台湾侵攻の可能性」を盛んに喧伝しています*5。しかし、かつてアメリカが、ベトナム戦争における「トンキン湾事件*6イラク侵攻における「イラク大量破壊兵器所持」*7といった侵攻の口実をでっちあげたことに鑑みると、「台湾有事」に関してもアメリカが中国侵攻の口実を捏造する可能性が十分に考えられます。もしそう考えることを「陰謀論」だと言うのなら、アメリカが盛んに喧伝する「中国による台湾侵攻の可能性」も「陰謀論」だと言えるでしょう。

「台湾有事は日本有事」というスローガンの下、日帝・岸田政権は、対中国戦争に向けた軍事力のさらなる強化を進めています*8日帝・岸田政権やマスメディアは、それを「防衛力の抜本的強化」だと言い、国民の多くもその言葉を真実であると信じて疑いません。しかし、対中国戦争に向けた軍事力のさらなる強化を「防衛力の抜本的強化」だと言うのは欺瞞です。「台湾有事」とは、アメリカが言うような「台湾と世界の民主主義を守るための戦い」*9ではなく、その実は「米国主導の世界経済体制を守るための対中国戦争」です。そして、先にも述べたように日本はアメリカの同盟国としてそれに主体的かつ積極的に参戦するのであって、日帝・岸田政権が進める軍事力のさらなる強化はそのためのものです。こうした軍事力の強化は、憲法9条の下では到底許されるものではないはずです。

1972年に日本と中国との間で調印された「日中共同声明*10によれば、「中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であることを承認」し、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する[……]中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重」するというのが日本の立場です。その是非はさておき、かかる日本の立場からすれば、台湾・蔡英文政権の対中国認識がどうであれ*11、台湾を支援するべく「台湾有事」に日本が軍事的に関与することは、「中国」の内戦における当事者の一方に加勢するものであって、「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄を放棄することを定めた憲法9条に違反するものと言わざるを得ません。「台湾海峡両岸関係」*12問題は、まず何よりも中華人民共和国政府と中華民国政府の対話を通じて平和的に解決されるべきものです。しかるに、米帝・バイデン政権と日帝・岸田政権の中国に対する挑発的な態度や、対中国戦争に向けた日米軍事同盟の強化と日本の軍備拡張は、「台湾海峡両岸関係」問題の平和的解決を妨げるものでしかありません。

天皇制の問題は、人民に対する差別・抑圧という人権問題である。

「リベラル」派の中には、天皇制について「国民の大多数が天皇制を支持している*1のだから、天皇制は維持されるべきである」と考える人も少なからずいるでしょう。

たしかに、天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」(日本国憲法第1条*2)ことに鑑みれば、「国民の大多数が天皇制を支持しているのだから、天皇制は維持されるべきである」というのは一見正論のように見えます。しかし、人民を差別・抑圧して支配する天皇制の問題は、人民に対する差別・抑圧という人権問題です。そして、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等」(世界人権宣言第1条*3)ですから、「国民の多数意思」は少数派の人民に対する人権侵害を正当化しません。さらに、天皇制によって差別・抑圧されているのは「日本国民」だけではなく、むしろ最も差別・抑圧されているのは「日本国民」ではない人民です。それゆえ、「国民の大多数が天皇制を支持している」ことは、人民の人権を侵害する天皇制を正当化する理由にはならないはずです。つまり、「国民」の大多数が天皇制を支持していようが、人民の人権を侵害する天皇制は廃止されるべきなのです。

そもそも、国民の大多数が天皇制を支持するような状況を作り出しているのは、ほかならぬ天皇制による人民支配です。すなわち、国民の大多数が天皇制を支持するような状況は、神話という虚構に由来する天皇の権威を権力者が政治的に利用することで人民を束ねんとする支配装置である天皇制と、それを支える暴力装置の人民抑圧*4によって作り出されるものなのです。

さて、天皇制廃止論者の中には、天皇制について「天皇や皇族の人権を侵害するものだから、天皇制は廃止されるべきである」と考える人も少なからず見受けられます。

たしかに、個人としての天皇や皇族の人権は、天皇制によって制約されています*5。しかし、それは人民を差別・抑圧して支配する天皇制を維持するためです。つまり、天皇制の目的は人民を差別・抑圧して支配することであり、個人としての天皇や皇族の人権に対する制約は、(天皇制国家にとって)天皇制の目的を実現するための「必要悪」なのです。それゆえ、天皇制廃止の議論においては、何よりも「天皇制に差別・抑圧される人民の人権」を考えるべきです。天皇制廃止の目的は何よりも「人民を天皇制の支配から解放すること」であり、これによって天皇や皇族が天皇制から解放されたとしても、それは人民が天皇制の支配から解放されたことの反射的効果にすぎません。

たとえ個人としての天皇や皇族が「善い人」だろうが、たとえ天皇一家が「国民」から愛されていようが、そんなことは関係なく、人民を差別・抑圧して支配する天皇制は人民の人権を侵害する悪しき制度です。天皇制の問題を「天皇を好きか、嫌いか」の問題だと思っている人も少なからずいるかもしれません。しかし、先述のとおり天皇制の問題は、人民に対する差別・抑圧という人権問題であり、「天皇を好きか、嫌いか」という個人の主観的な問題では決してありません。つまり、人権の尊重という人類普遍の価値に鑑みれば、人権の尊重という人類普遍の価値を共有するわれわれ人民は、天皇に対する「好き嫌い」の感情にかかわらず、われわれを差別・抑圧する天皇制を廃止し、われわれ自身を天皇制の支配から解放すべきなのです。

日韓両国の保守政権が志向する「日韓関係の改善」と日韓の人民同士の友好親善は、似て非なるものである。

尹大統領・岸田首相、「関係改善」に同意…韓米日軍事協力へとつながるのか : 政治•社会 : hankyoreh japan

japan.hani.co.kr

日韓の人民同士の友好親善を希求する日本人の中には、日韓両国の保守政権が志向する「日韓関係の改善」によって日韓の人民同士の友好親善が促進されることを期待する人も少なからずいることでしょう。たしかに、日韓両国の保守政権が志向する「日韓関係の改善」は、日韓両国の国民の間に「友好親善ムード」を生み出すかもしれません。しかし、そうした「友好親善ムード」は、あくまでもうわべだけのものです。

日本人の多くは、日韓両国の保守政権が志向する「日韓関係の改善」を「日韓の人民同士の友好親善」と同義であると思っているかもしれません。しかし、日韓両国の保守政権が志向する「日韓関係の改善」と日韓の人民同士の友好親善は、似て非なるものです。

日韓両国の保守政権が志向する「日韓関係の改善」とは、日本の岸田首相*1や林外相*2が「1965年の国交正常化以来築いてきた日韓の友好協力関係の基盤に基づき日韓関係を発展させていく必要があ」ると述べていることからもわかるように、新植民地主義的な戦後「日韓関係」を基礎づける「六五年体制」*3の綻びを修復することです。新植民地主義的な戦後「日韓関係」を基礎づける「六五年体制」は、その維持のために韓国の強圧的な政権を必要としますが、しかし、1987年の韓国の民主化は、強圧的な政権を倒して「六五年体制」に綻びを生じさせました。その綻びは、2008年~17年の李明博朴槿恵政権という保守政権の手によって修復されたものの、文在寅政権を生み出した2016~17年の「ろうそく革命」は、「六五年体制」に綻びを生じさせました。それゆえ、「ろうそく革命」によって生じた「六五年体制」の綻びの修復を図るべく、日韓両国の保守政権は「日韓関係の改善」を志向するのです。

新植民地主義的な戦後「日韓関係」を基礎づける「六五年体制」は、岸田首相が「日韓、日米韓の戦略的連携がこれほど必要な時はなく、日韓関係の改善は待ったなしだ」と述べている*4ことからもわかるように、米国主導の世界経済体制を構築・発展させることを究極の目的とする米・日・韓三角(軍事)同盟を支えるためのものです。つまり、日韓両国の保守政権が志向する「日韓関係の改善」は、米・日・韓の権力層や経済的支配層の利益のために行われるものであって、日韓の人民同士の友好親善のために行われるものではないのです。

「六五年体制」を維持し、その安定性を高めるためには、日本軍性奴隷制問題(日本軍「慰安婦」問題)や日帝強制動員問題(徴用工問題)といった歴史問題の噴出を物理的暴力で抑圧するか、コントロール可能な領域におく必要があります。すなわち、「六五年体制」は、日本軍性奴隷制日帝強制動員の被害者の犠牲の上に成り立つものなのです。かかる「六五年体制」を修復するための「日韓関係の改善」が、はたして日韓の人民同士の友好親善に資するものであるといえるでしょうか。日本軍性奴隷制日帝強制動員の被害者の犠牲の上に成り立つような「日韓友好」は、決して真の友好関係ではありません*5。先に述べたように、「六五年体制」は、米国主導の世界経済体制を構築・発展させることを究極の目的とする米・日・韓三角(軍事)同盟を支えるためのものです。そうした「六五年体制」を維持・発展させるために日本軍性奴隷制日帝強制動員の被害者の人権を犠牲にすることは、まさしく「日本帝国主義の論理」です。日本と韓国の真の友好親善は、そうした「日本帝国主義の論理」で貫かれた「継続する植民地主義」の体制である「六五年体制」を克服した先にあるはずです。

*1:韓国次期政権の韓日政策協議代表団による岸田総理大臣表敬|外務省

*2:林外務大臣臨時会見記録|外務省

*3:“「六五年体制」とは、日本(佐藤栄作政権)と韓国(朴正煕政権)が調印した韓日基本条約や四つの協定にもとづいた、現在の韓日関係の出発点となる体制を指す。第一には米国を頂点とする垂直的系列化を基盤とする韓米日擬似三角同盟体制(日米同盟と韓米同盟)である。[……]第二にはこの同盟体制を維持し、その安定性を高めるため歴史問題の噴出を物理的暴力で抑圧するか、コントロール可能な領域におく。”(権赫泰『平和なき「平和主義」』)

www.h-up.com

*4:岸田首相、日韓の関係改善急務 懸案解決へ行動求める―尹氏代表団と会談:時事ドットコム

*5:

yukito-ashibe.hatenablog.com

徴用工問題について論じた朝日新聞の社説を読んで思うこと

(社説)尹大統領会見 日韓の行動で打開を :朝日新聞デジタル

www.asahi.com

上掲の日帝強制動員問題(徴用工問題)について論じた朝日新聞の社説ですが、私はこの社説を肯定的に評価することができません。これが日本を代表する「リベラル紙」の社説か、と思うと残念な気持ちになりますが、「リベラル紙」といっても所詮は日本の「リベラル紙」だということなのでしょう。

韓国の司法では、被告の日本企業に賠償を命じた判決が確定している。一方の日本政府は法的に解決済みとしており、もし企業の資産が現金化されれば、厳しく報復する構えだ。

その事態を避ける狙いを念頭に、尹氏は演説で「日本が憂慮する問題と衝突せず、債権者が補償を受けられる案を今深く講じている」と述べた。

この発言は、日本企業に損害を与えずに被害者の救済にあたる考えを示唆しており、これまで以上に踏み込んでいる。

朝日新聞は、被告の日本企業に賠償を命じた韓国大法院判決の執行を「日本企業の損害」と捉えています。しかし、韓国大法院判決の執行を「日本企業の損害」と捉えるのは間違いです。韓国大法院判決の執行は、日帝による朝鮮植民地支配下における日本企業の反人道的な不法行為によって損害を受けた日帝強制動員被害者に対する司法的救済であり、それによって日本企業が受ける不利益は「損害」ではありません。しかるに、日帝強制動員被害者に対する司法的救済を日本企業に損害を与えるものと捉えるのは、司法に対する冒涜です。

歴代政権は談話などで、植民地支配に対する謙虚な思いを表明してきた。

たしかに、歴代政権は、口先では植民地支配に対する謙虚な思いを表明してきたかもしれません。しかし、そうした表明とは裏腹に、歴代政権、特に安倍政権以降の自民党政権は、日帝による朝鮮植民地支配の美化あるいは正当化に腐心してきました。その最たるものが、日帝強制動員問題と日本軍性奴隷制(日本軍「慰安婦」)問題の正当化あるいは矮小化*1です。こうした日本政府の「植民地支配に対する謙虚な思い」の表明と矛盾する傲慢な態度が、日帝強制動員問題の解決を困難にしているのです。

その姿勢を再確認するとともに、3年前に実施した韓国向けの輸出規制強化措置の解除に向けた手続きを始めてはどうか。
もともと徴用工問題で動かない韓国政府への報復として実行した措置だ。

「3年前に実施した韓国向けの輸出規制強化措置」を「もともと徴用工問題で動かない韓国政府への報復として実行した措置だ」と言う朝日新聞は、大きな勘違いをしています。日帝強制動員問題は、日帝の植民地支配による加害の問題です。したがって、それは当然のことながら、加害者である日本側の責任で解決すべきものです。つまり、「徴用工問題で動かない韓国政府への報復として実行した措置」には何の理もなく、それは韓国に対する経済侵略にほかなりません。かかる経済侵略は、日帝強制動員問題に関係なく直ちにやめるべきです。

アジア太平洋の情勢が複雑さを増すなか、日韓には多くの共通課題があることを忘れてはなるまい。ともに安全保障で米国と同盟関係にある一方、中国経済との結びつきが強い。台湾海峡北朝鮮問題は、協調対処することが理にかなう。

日韓に今必要なのは、大局を見据えた関係づくりである。

これは要するに、「米日韓三角(軍事)同盟」を維持・発展させるために、日韓両政府は日帝強制動員問題について適当なところで妥協しろ、ということです。

韓国の保守政権である尹錫悦政権が「日韓関係改善」に強い意欲を示す*2のは、進歩派政権である文在寅政権によって生じた「日韓65年体制」の綻びを修復し、「米日韓三角(軍事)同盟」を維持・発展させるためです。そして、そのためには、新植民地主義的な日韓関係である「日韓65年体制」を不安定にする歴史問題の噴出に蓋をする必要があります。しかし、政治の問題ではなく人権の問題である日帝強制動員問題は、「米日韓三角(軍事)同盟」を維持・発展させるためという「帝国の論理」に翻弄されてはならないものです。しかるに、日帝強制動員被害者の真の救済を犠牲にして「米日韓三角(軍事)同盟」を維持・発展させること、すなわち人権を犠牲にして「帝国」の利益を図ることは、まさしく朝日新聞とその読者層であるリベラル派が批判する「日本帝国主義の論理」です。

日帝強制動員問題を解決するための最善かつ唯一の方法は、加害者である日本企業が不法行為責任を認めて謝罪するとともに韓国大法院判決を誠実に履行し、日本政府が日帝による朝鮮植民地支配の不法性を認めて日本企業による判決の誠実な履行を妨げないことです。それは、本当に戦後の日本が日帝による朝鮮植民地支配を「深く反省」しているのであれば*3、決して難しいことではないはずです。

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「戦後日本」は、何を反省し、何を反省しなかったか。

終戦77年、不戦の誓い新た 天皇陛下「深い反省」―コロナで3年連続縮小・戦没者追悼式:時事ドットコム

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終戦の日」あるいは「敗戦の日」と呼ばれる8月15日*1、日本では「先の大戦への反省」が語られます。日本政府も、「戦後日本」が「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してき」たと言います*2

もちろん、「戦後日本」が「先の大戦」すなわちアメリカをはじめとする「連合国」と戦った第二次世界大戦における行いを反省することも必要です。しかし、「戦後日本」が痛切に反省すべきなのは、「先の大戦における行い」だけではありません。

天皇制国家」日本が犯した「罪」は、アメリカをはじめとする「連合国」と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な負け方をしたことだけでは決してありません。すなわち、「天皇制国家」日本は、第二次世界大戦以前に、朝鮮侵略の第一歩となった江華島事件、朝鮮王宮への侵犯、甲午農民戦争での日本軍による農民虐殺、朝鮮支配めぐる戦争である日清戦争、台湾植民地支配、朝鮮支配めぐる戦争である日露戦争、朝鮮植民地支配、中国侵略の始まりである満州事変、日中戦争日中戦争での日本軍による南京大虐殺……と、数々の「罪」を重ねてきました。そして、その延長線上に「先の大戦」という「罪」があるのです。これを考えると、「戦後日本」は、「天皇制国家」日本の朝鮮をはじめとするアジアへの侵略と植民地支配、そしてその根底にある日本帝国主義を何よりも痛切に反省すべきであり、「先の大戦における行い」を反省するだけでは全くもって不十分なのです。

「戦後日本」は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく憲法9条があるにもかかわらず、朝鮮戦争ベトナム戦争といった「アメリカの戦争」に加担し、憲法9条のおかげで自らの手を血で汚すことなく暴利をむさぼってきました。そして今、かつて「天皇制国家」日本が侵略した中国に対する戦争の準備をアメリカと共に進めています*3。これは、つまりところ「戦後日本」の「反省」が、アメリカをはじめとする「連合国」と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な負け方をしたことを反省するだけにとどまるものだからです。そして、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配をまるで反省していないから、今日もなお「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配の元凶である天皇制が存続し、今も続く「天皇制国家」日本の政府や多くの国民は、臆面もなく「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配を美化あるいは正当化したり、日本軍性奴隷制日帝強制動員といった日帝植民地支配下における人権侵害の事実を否定あるいは矮小化したりするのです。

「戦後日本」が再び繰り返してはならない「過ち」は、「無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な負け方をしたこと」ではありません。「天皇制国家」日本による侵略戦争と植民地支配こそが、「戦後日本」が再び繰り返してはならない「過ち」なのです。そして、その「過ち」を再び繰り返さないためには、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配を真摯に反省し、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配の根底にある日本帝国主義を克服することが必要不可欠なのです。