葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「成熟した日米関係」を考える上で避けて通れない問題

(日曜に想う)「成熟した日米関係」を考える 編集委員・佐藤武嗣:朝日新聞デジタル

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「米国の押しつけだ」と憲法改正を唱える保守を自任する政治家や論客が、敗戦国で最も「非対等」な日米地位協定の改定をなぜ口にしないのか。

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政府・自民党の外交は、いかに米国に「使い勝手のよい」日本になるかに腐心してやいないか。対立と協力が複雑に絡む国際情勢で日本の国益を見定め、米国を「どう使うか」という議論がなぜ聞こえてこないのか。

 

(日曜に想う)「成熟した日米関係」を考える 編集委員・佐藤武嗣:朝日新聞デジタル

戦後日本の「対米従属関係」を甘受する保守派や自民党政権への不満を漏らす「リベラル紙」の朝日新聞にとって、「成熟した日米関係」とは「対米従属関係」を脱却した「対等な日米関係」なのでしょう。

たしかに、戦後日本の「対米従属関係」は「主権国家」同士の本来あるべき関係ではないでしょう。ただ、「対米従属関係」といっても、それは朝日新聞をはじめ多くのリベラル派が考えているような米国が日本を一方的に利用するものではありません。

「米国の押しつけだ」と憲法改正を唱える保守を自任する政治家や論客が、敗戦国で最も「非対等」な日米地位協定の改定をなぜ口にしないのか。それは、本来戦犯として裁かれるべき昭和天皇ヒロヒトが己の保身のために天皇制国家体制を米軍に守ってもらうことを望んだ*1という、保守を自任する政治家や論客にとって「不都合な真実」が存在するからです。保守派のみならずリベラル派も触れたがりませんが、敗戦後「国体護持」(=天皇制国家体制の維持)に腐心する昭和天皇ヒロヒトは、米国を主体とするGHQ連合国軍総司令部)による対日占領政策の実現に積極的に協力し*2、戦後日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって「国体護持」という悲願を達成しました。つまり、戦後日本の「対米従属関係」は、昭和天皇ヒロヒトが己の保身と「国体護持」のために米国を利用した結果の産物なのです。朝日新聞は「政府・自民党の外交は、いかに米国に『使い勝手のよい』日本になるかに腐心していやしないか。対立と協力が複雑に絡む国際情勢で日本の国益を見定め、米国を『どう使うか』という議論がなぜ聞こえてこないのか」と不満を漏らしますが、日本が戦後も天皇制国家体制とアジア・太平洋地域における影響力を維持するためにアメリカ帝国主義をしたたかに利用しているからこそ、その代償として「米国に『使い勝手のよい』日本になる」ことが求められるのです。

こうしてみると、昭和天皇ヒロヒトの戦争責任と天皇制の存廃が「成熟した日米関係」を考える上で避けて通れない問題であることがわかります。つまり、「対米従属関係」を脱却した「対等な日米関係」を構築するために必要なのは、朝日新聞が言うような「対立と協力が複雑に絡む国際情勢で日本の国益を見定め、米国を『どう使うか』という議論」云々ではなく、何よりもまず戦後日本の米国に対する「負債」を清算すること、すなわち日本が自らの手で昭和天皇ヒロヒトの戦争責任を追及して天皇制を廃止することなのです。

*1:“ここで天皇は痺れを切らしたかのように、「日本の安全保障を図る為にはアングロサクソンの代表者である米国がそのイニシアティブをとることを要するのでありまして、その為元帥の御支援を期待しております」と”本筋“に切り込んだ。”(豊下楢彦昭和天皇マッカーサー会見』岩波現代文庫  98頁)

*2:「象徴天皇制」のどす黒い正体 ヒロヒトは自分の延命と天皇制存続のためマッカーサーに工作 革命と共産主義への恐怖が根底にあった - 週刊『前進』

日本軍「自衛隊」は旧日本軍と本質的に変わらない。

「大東亜戦争」陸自部隊の公式アカウントがSNS投稿 反省が薄れている? 自衛隊幹部は靖国に参拝も:東京新聞 TOKYO Web

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日本国民の多くは「『自衛隊』は旧日本軍と断絶している」と信じて疑わないようです。日本の代表的な「リベラル紙」である朝日新聞も、自衛隊幹部らによる靖国参拝問題について論じた社説で「自衛隊」を「侵略戦争と植民地支配という戦前の『負の歴史』への反省を踏まえ、平和憲法の下で新たに組織された」ものだと述べています*1

たしかに、「自衛隊」は旧日本軍との断絶を建前としていますし、「戦後の日本は他国から尊敬される平和国家に生まれ変わった」という「新たな神話」を自尊心の拠り所とする戦後日本のリベラル派も「旧日本軍との断絶」という建前を信じたいのでしょう。しかし、残念ながらその建前は「自衛隊」の実体を覆い隠す「隠れ蓑」にすぎません。

自衛隊」の前身である警察予備隊は、アメリカの冷戦政策上の必要性から米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれた戦後日本の再軍備の第一歩として創設されたものであり*2、こうした経緯に鑑みれば、「自衛隊」の第一次的な役割は米国主導の東アジア国際秩序すなわち東アジアにおける米国の覇権を守ることだといえます。
そもそも戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれたのは、日本が米国に敗戦したからであることはいうまでもありませんが、単にそれだけではなく、昭和天皇裕仁と支配層が固執した「国体護持」(=天皇制の維持)*3を戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって達成したからです。このことと先に述べた「自衛隊」の第一次的な役割をあわせて考えると、「自衛隊」の究極目的は米国主導の東アジア国際秩序を守ることを通じて天皇制国家を守ることであるといえます。つまり、「自衛隊」は天皇制国家を守るための軍隊であるという点で旧日本軍と本質的に変わらないのです。だからこそ、「自衛隊」は日本軍国主義の象徴である「旭日旗*4を臆面もなく掲げ、天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設である靖国神社に組織的に参拝し*5、「大東亜戦争」という日帝のアジア侵略と植民地支配を正当化する呼称を平気で使い*6SNS戦没者追悼式を紹介する投稿に「大東亜戦争」という用語を使った部隊が「(天皇を守る)近衛兵の精神を受け継いだ部隊」を自称する*7のです。

このように、「自衛隊」は旧日本軍と本質的に同じであって天皇の国のために殺し殺されることを究極目的とするれっきとした軍隊であり、天皇制国家が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」とは敵対的に矛盾するものです。それゆえ、戦後の日本が本当に平和国家に生まれ変わることを日本国民が望むのであれば、日本国民がすべきことは「『自衛隊』は旧日本軍と断絶している」と信じて疑わないことではなく、旧日本軍と本質的に変わらない日本軍「自衛隊」の実体を直視し、「平和憲法」とは敵対的に矛盾する日本軍「自衛隊」を解体することです。そして究極的には、天皇の国のために殺し殺される軍隊を必要とする天皇制を廃止するべきです。

日本は米軍と日本軍「自衛隊」の一体化によって「アメリカの戦争に引き込まれる」のではない。

加速する米軍と自衛隊の一体化 アメリカの戦争に引き込まれる恐れは 安全保障関連法施行8年:東京新聞 TOKYO Web

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集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法が施行されてから29日で8年となった。自衛隊幹部が米国製巡航ミサイル「トマホーク」を米軍と情報共有して敵基地攻撃に使う可能性に言及するなど軍事的な一体化は加速。4月の日米首脳会談では米軍と自衛隊の指揮統制の連携強化で合意する方針だが、強大な米軍の影響力で自衛隊の指揮権の独立性が損なわれ、日本が米国の軍事行動に巻き込まれる懸念は消えない。

 

加速する米軍と自衛隊の一体化 アメリカの戦争に引き込まれる恐れは 安全保障関連法施行8年:東京新聞 TOKYO Web

米軍と日本軍「自衛隊」の軍事的な一体化に関して、それを批判する日本国民からは「アメリカの戦争に引き込まれる」ことを懸念する声が多く聞かれます。

たしかに、米軍と日本軍「自衛隊」の軍事的な一体化によって日本軍「自衛隊」はアジアにおける米国の覇権を守るための「アメリカの戦争」で米軍と軍事的行動を共にすることになるでしょう。しかし、それは決して「アメリカの戦争に引き込まれる」のではありません。

戦後日本は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず、1950年に再軍備の第一歩を踏み出し*1、「平和憲法」のおかげで自らの手を血で汚すことなく朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)、イラク戦争(2003~11年)といった「アメリカの戦争」に加担して暴利をむさぼってきました。そして、いまや世界有数の軍事大国となった*2日本は、戦争法*3が制定されたことによって、「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に同盟国として参加できるようになり*4、アジアにおけるアメリカの覇権を守るための対中国戦争、あるいは対朝鮮民主主義人民共和国DPRK)戦争に向けた準備を盟主である米国と共に着々と進めています*5。岸田政権が固執する敵基地攻撃能力の保有*6も、日本が「集団的自衛権」の名の下に米国主導の世界経済体制を守ることを目的とする米国の侵略戦争に参加する上で必要となるものです。つまり、日本は「アメリカの戦争に引き込まれる」のではなく、米国の同盟国としてアジアにおける米国の覇権を守るための「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦するのです。

このように日本が「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦するのは、戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることを通じて「国体」を護持する(天皇制国家を維持する)道を選んだからであり、また、米国主導の東アジア国際秩序を守ることが日本の権力層や経済的支配層の利益を守ることにつながるからです。つまり、日本が「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦するのは、天皇制国家・日本の権力層や経済的支配層の利益を守るためなのです。「アメリカの戦争に引き込まれる」ことを懸念する日本国民は、そうした日本の権力層や経済的支配層の利益を守るための戦争で日本軍「自衛隊」に殺されるであろう人たちの姿を想像する必要があります。

日本国民が米軍と日本軍「自衛隊」の軍事的な一体化に反対しなければならないのは、日本が「アメリカの戦争に引き込まれる」からではなく、日本が米国の同盟国としてアジアにおける米国の覇権を守るための「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦すれば日本は再び戦争加害者になるからです。憲法9条は、日本が戦争被害者にならないための「お守り」ではなく、日本が過去のアジア侵略戦争を反省して再び戦争加害者にならないことを誓うものです。日本国民は、そのことを改めて認識し、これまでないがしろにされてきた憲法9条を政府に遵守させなければなりません。そして、先に述べた日本が「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦する理由に鑑みれば、米国主導の東アジア国際秩序を守るための「安全保障」に名を借りた日米軍事同盟を解消し、米国主導の東アジア国際秩序を守ることを通じて天皇制国家を守るための軍隊である日本軍「自衛隊」を解体して、究極的にはその根底にある天皇制を廃止するべきです。

憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁に断固抗議する。

次期戦闘機の第三国への輸出解禁、政府が決定 安保政策の転換点 [岸田政権]:朝日新聞デジタル

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政府は26日午前の国家安全保障会議NSC)で、武器輸出を制限している防衛装備移転三原則の運用指針を改定し、英国、イタリアと国際共同開発中の次期戦闘機の第三国への輸出を解禁した。「殺傷能力のある武器の最たるもの」(自民議員)と位置づけられる戦闘機の輸出解禁は、武器輸出を厳しく制限してきた日本の安全保障政策の大きな転換となる。

 

次期戦闘機の第三国への輸出解禁、政府が決定 安保政策の転換点 [岸田政権]:朝日新聞デジタル

政府与党自らが「殺傷能力のある武器の最たるもの」と位置づける次期戦闘機の輸出解禁は、まさしく「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」(日本国憲法前文)である平和的生存権を脅かすものであり、憲法の平和主義に反する暴挙であると言わざるを得ません。

政府は、「歯止め策」として「輸出先は『防衛装備品・技術移転協定』の締結国など、輸出した武器を侵略に使わないなどとする国際約束を日本と結んだ国に限る」としています。しかし、これまでに多くの侵略戦争が「集団的自衛権」の名の下に行われてきたこと、そして日本も「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」の名の下に*1世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に参加しようとしていることに鑑みれば、「歯止め策」の実効性は甚だ疑問です。

憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁が閣議決定で行われたことは、憲法に縛られるはずの政府が独断で憲法を乗り越えるという独裁的な暴挙であり、もちろん言語道断です。もっとも、次期戦闘機の輸出解禁は、先に述べたように平和的生存権という人権の問題ですから、「国民的議論」*2を経れば許されるというものでは決してありません。

さて、今般の次期戦闘機の輸出解禁については、「平和国家の信頼を損なう」あるいは「日本は『死の商人』になるのか」といった声も多く聞かれます。しかし、はたして「戦後日本」は、本当に「平和国家」なのでしょうか。あるいは、本当にこれまで「死の商人」ではなかったのでしょうか。「戦後日本」は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず、「朝鮮特需」*3や「ベトナム特需」*4という言葉があることからもわかるように朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)といった「米国の戦争」に加担し、皮肉にも「平和憲法」のおかげで自らの手を血で汚すことなく暴利をむさぼってきました。そして、「平和憲法」があるにもかかわらず戦後の「平和国家」日本が加担してきた「米国の戦争」では、「平和憲法」があるにもかかわらず日本が生産し、供給した殺傷武器が使われ(ベトナム戦争で使用されたナパーム弾の9割が日本製だと言われています。)、それによって数多くの市民の命が奪われました。今般の次期戦闘機の輸出解禁は、こうした「平和憲法」をないがしろにした「戦後日本」による「米国の戦争」への加担の延長線上にあるものであって、それは「平和国家」が軍国主義に急旋回したということでも死の商人に成り下がったということでもないのです。もちろん、「平和憲法」それ自体はかけがえのない素晴らしいものです。しかし、先述したように、「戦後日本」が「米国の戦争」に加担して暴利をむさぼってきたこと、そして、いまや世界有数の軍事大国となった*5「戦後日本」が戦争法*6の制定によって「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に同盟国として参加できるようになったことに鑑みれば、残念ながら戦後の日本が軍国主義と決別したとは到底いえず、皮肉なことにかけがえのない素晴らしい「平和憲法」が日本軍国主義の隠れ蓑になってしまっているのです。

先にも述べたように、「平和憲法」があるにもかかわらず「戦後日本」が生産し、供給した殺傷武器は、朝鮮戦争ベトナム戦争といったこれまで「戦後日本」が加担してきた「米国の戦争」で、数多くの市民の命を奪ってきました。今般の次期戦闘機の輸出解禁を許容すれば、これまで自称「平和国家」によってないがしろにされ形骸化してきた「平和憲法」はますます形骸化し、日本は同じ過ちを際限なく繰り返すことになるでしょう。「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえている日本軍国主義に終止符を打ち、日本を「平和憲法」を持つにふさわしい真の平和国家にするためには、憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁を断じて許してはなりません。私は、憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁に断固として抗議します。

民主主義の本質に鑑みれば、大椿ゆうこ参議院議員の「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」という言説は何も間違っていない。

社民党・大椿副党首「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違い」と持論展開 賛否の意見殺到/芸能/デイリースポーツ online

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社民党副党首の大椿裕子参院議員が23日、自身のX(旧ツイッター)を更新。「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」と持論を展開した。

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こうした大椿議員の持論には、さまざまな意見が寄せられた。「学がない連中はこのポストが正しいことなのが理解できないですよ」などの賛同意見も見られたが、「国家公務員法の否定ですか」「日本国籍の日本人の益(原文ママ)の為に、その代表として日本国の政治を担うんじゃないのか?」などと反発する意見も多く見られた。

 

社民党・大椿副党首「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違い」と持論展開 賛否の意見殺到/芸能/デイリースポーツ online

後述する民主主義の本質に鑑みれば、大椿ゆうこ参議院議員の「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」という言説は何も間違っていません。むしろ間違っているのは、「日本国籍の人のためだけに政治がある」という言説、そして、そのような間違った言説を生み出す日本の民主主義システムの状況、すなわち日本国籍ではない人たちが民主主義システムから疎外されている状況です。

民主主義の本質は「治者と被治者の同一性」すなわち治める者と治められる者が同一であることです。そして、日本国籍ではなく外国籍であっても「永住者」あるいは「定住者」であれば被治者なのですから(納税など日本国籍者と同様の公的義務を負う「永住者」あるいは「定住者」は、間違いなく被治者です。)、治者として政治に参加する権利を当然に有するのです。それゆえ、本当に日本が民主主義の国であるならば、日本国籍であるかどうかに関係なく治者かつ被治者である人民のために政治があるべきなのです。さらに言うと、民主主義の目的が究極的には個人の基本的人権を確保することであることに鑑みれば、民主主義政治は、日本社会のマイノリティとして人権を侵害されることが日本国籍者よりもはるかに多い「永住者」あるいは「定住者」である外国籍市民のためはもちろん、人権の普遍性にもかかわらず人権保障から疎外されている非正規滞在者のためにもあるべきものなのです。

もしかすると、「日本は『国民主権』の国だから、日本国籍の人のためだけに政治がある」と思っている人もいるかもしれません。しかし、「国民主権」の本質的な意義は君主が主権を持たず人民が主権を持つ点にあるのであって、かかる意義からすれば本来的に主権者を日本国籍者に限るべき理由はありません。それゆえ、日本が「国民主権」の国だからといって、日本国籍の人のためだけに政治があるというわけではないのです。

大椿議員の言説に対して「日本国籍の日本人の益(原文ママ)の為に、その代表として日本国の政治を担うんじゃないのか?」と反発する意見は、「学がない」云々ではなく、つまるところ外国人差別や排外主義の発露です。それゆえ、「日本国籍の人のためだけに政治がある」という間違った言説を正すためには、そのような間違った言説を生み出す日本の民主主義システムの状況を変えること*1はもちろんのこと、それと同時に外国人差別や排外主義がはびこる日本社会を変えること*2が必要不可欠です。

日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題の本質

公務に殉じた人の追悼、議論を 元防衛次官がみる自衛隊の靖国参拝:朝日新聞デジタル

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上掲記事で元防衛事務次官守屋武昌氏は、次のように述べています。

ただ、このことはわかってほしい。旧日本軍と自衛隊は違いますが、自衛官は国民のために命をかけています。その意味で「同じ職業」という意識はあるでしょう。幹部らの靖国参拝の報道を見ましたが、戦争を美化しようとしているのではなく、公務に殉ずる意識の表れだと私は思います。

 

公務に殉じた人の追悼、議論を 元防衛次官がみる自衛隊の靖国参拝:朝日新聞デジタル

守屋氏の論理からすると、旧日本軍の軍人も「国民のために命をかけてい」たことになるでしょう。しかし、「皇軍」すなわち「天皇の軍隊」の軍人である旧日本軍の軍人は天皇のために命をかけていたのであって、「国民のために命をかけてい」たのではありません。

ただ、自衛官自衛官と旧日本軍の軍人が「同じ職業」だという意識がある、というのは、確かにそうかもしれません。思うに、それは日本軍「自衛隊」が旧日本軍と本質的に変わらないことによります。日本軍「自衛隊」が「国民を守るための存在」だというのは欺瞞です。日本軍「自衛隊」の前身である警察予備隊アメリカの冷戦政策上の必要性から日本の再軍備*1の第一歩として創設されたという日本軍「自衛隊」が創設された経緯に加え、戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって昭和天皇裕仁と支配層が固執した「国体護持」(=天皇制の維持)*2が達成されたことに鑑みると、日本軍「自衛隊」の基本的な理念・役割は、米国主導の東アジア国際秩序を守ることを通じて天皇制国家を守ることだといえます。つまり、日本軍「自衛隊」の究極目的は天皇制国家を守ることであって、自衛官も究極的には旧日本軍の軍人と同様に天皇のために命をかけているのです。だからこそ、幹部が天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設である靖国神社に平気で参拝できるのです。そして、天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設である靖国神社に組織的に参拝するということは、日本軍「自衛隊」は天皇の国のために殺し殺されることもいとわないということです。守屋氏は「幹部らの靖国参拝の報道を見ましたが、戦争を美化しようとしているのではなく、公務に殉ずる意識の表れだと私は思います」と言いますが、幹部らの靖国参拝天皇の国のために戦争で死ぬことを美化するものであると言わざるを得ません。

日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題に関して「日本のために命を落とした人をどう追悼するか。政治家は、もっと議論すべきです」と言う守屋氏は、日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題の本質をはぐらかしています。日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題の本質は、「日本のために命を落とした人をどう追悼するか」ではなく、天皇の国のために戦争で殺し殺されることを是とするか、です。そして、日本の人民が天皇の国のために戦争で殺し殺されることを是としないのであれば、日本軍「自衛隊」という天皇の国のために殺し殺されることもいとわない軍隊と、靖国「神社」という天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設は、いずれも解体すべきであり、究極的にはそれらの根底にある天皇制を廃止するべきです。

自民党政権の悪政を何でもかんでも旧統一教会のせいにする「リベラル」派の無責任さ

統一教会自民党を支配している」と言ったり「自民党統一教会だ」と言ったりして自民党政権の悪政を何でもかんでも旧統一教会のせいにする「リベラル」派を気取った日本国民が相変わらず後を絶ちません。

統一教会自民党を支配していませんし、自民党は旧統一教会ではありません。自民党と旧統一教会の癒着は、決して一方的な支配関係ではなく、戦後の米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義という政治構造における、同じ理念を共有する者同士の利用関係が生み出したものです。そして、戦後の米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義体制の構築・発展という使命を果たすためならばカルト教団をも利用するような日本の政権与党、それが自民党です。旧統一教会は、あくまでも自民党が戦後の米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義体制を維持・強化するために利用しているカルト宗教のうちの一つに過ぎません。

このような日本の政権与党である自民党の悪政は、他でもない日本の「内なる悪」であり、それは日本国民が「主権者」として向き合わなければならないものです。そうした日本の「内なる悪」である自民党政権の悪政を「統一教会自民党を支配している」と言ったり「自民党統一教会だ」と言ったりして日本の「外」からやってきた旧統一教会のせいにしてしまえば、日本国民は「主権者」として日本の「内なる悪」と向き合わずに済むのですから、たしかに気が楽でしょう。しかし、それは「主権者」としての責任放棄にほかなりません。そのような無責任な「主権者」たちが「統一教会から日本を、取り戻す」と息巻く姿には、ただただ呆れるばかりです。きっと彼らは「真の日本は平和で美しい国なのに、統一教会というサタンのせいで悪い国になってしまった」と思いたいのでしょう。しかし、日本が「統一教会というサタンのせいで悪い国になってしまった」というのは大きな勘違いです。なぜなら、先に述べた自民党の使命からわかるように、昭和天皇裕仁と支配層が腐心した「国体護持」(=天皇制の維持)*1の結果が、自民党政権の悪政がはびこる今の日本のこの体たらくだからです。このことを考えると、戦後の米国主導の東アジア国際秩序を支える反共主義体制とその究極目的である天皇制国家という「国体」を変えない限り、いつまでも日本の政権与党の悪政は続くでしょう。

ところで、旧統一教会に詳しい識者によれば、「植民地時代の民族的恨みを解くこととして、日本で資金を調達してそれを韓国に持ってきて世界的な活動に使う」ことが旧統一教会の本質を成しているそうです*2。もしそうなら、旧統一教会日帝の朝鮮植民地支配が生み出した「モンスター」だといえるでしょう。もちろん、旧統一教会による霊感商法献金の強要は、断じて許されるものではありません。しかし、そのことは、決して日帝の朝鮮植民地支配について日本国民が負う「責任」*3を帳消しにするものではありません。旧統一教会に詳しい識者が旧統一教会の本質だと言う「植民地時代の民族的恨みを解く」点は、まさに日本国民が真摯に向き合わなければならない日帝の朝鮮植民地支配という自国の「負の歴史」にかかわるものです。しかるに、日帝の朝鮮植民地支配という自国の「負の歴史」と真摯に向き合わなければならない日本の国民が旧統一教会の「植民地時代の民族的恨みを解く」点を非難するのは、盗人猛々しいと言わざるを得ません。自民党と旧統一教会の癒着の問題にかこつけて韓国を「悪魔視」するネット右翼や一部のリベラル派は、旧統一教会について「天皇をサタン呼ばわりする反日カルト教団が日本を食い物にしている」と言いますが、「天皇の国」が朝鮮を食い物にしたことを棚に上げてよくそんなことが言えたものです。

先にも述べましたが、日本の政権与党である自民党の悪政は、他でもない日本の「内なる悪」であり、それは日本国民が「主権者」として向き合わなければならないものです。しかるに、「主権者」である日本国民が、日本の「内なる悪」である自民党政権の悪政を何でもかんでも日本の「外」からやってきた旧統一教会のせいにして日本の「内なる悪」と向き合うことを避けているようでは、いつまでも日本は自民党政権の悪政がはびこったままです。