あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

「慰安婦判決は国際法違反」という日本政府の主張は、どこが間違っているか。

菅首相「韓国は国際法上の違反 是正措置を」韓国での判決受け | 日韓関係 | NHKニュース

 

日本政府に日本軍性奴隷制被害者への賠償を命じたソウル中央地方法院の判決について、日本政府は、当該判決を「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さないのが決まり」であり「国際法に違反する、常識では考えられない判決」*1だと言い立てています。そして、これを批判的に報じる日本のマスメディアは、皆無に等しい状態です。

結論から言えば、今般の判決を「国際法に違反する」と断言するのは正しくありません。

たしかに、国際法上、国家及びその財産は、一般に外国の裁判権から免除されるという「主権免除の原則」が存在します。しかし、この原則は絶対的なものではなく、主権行為には主権免除が適用されるが私法的行為には適用されないとする制限免除主義が現在の国際的な潮流であり*2、韓国の裁判所はもちろん(大法院1998年12月17日判決)、日本の裁判所もこれを採用しています(最高裁判所平成18年7月21日第二小法廷判決)。つまり「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さないのが決まり」というのは絶対的なものではないのです。

もっとも、今般の判決は、日本軍性奴隷制という日帝による人権侵害行為を私法的行為ではなく主権的行為であるとしています。しかし、だからといって今般の訴訟が主権免除の例外に当たらないと結論付けるのは早計です。なぜなら、国際法上の強行規範に違反する重大な人権侵害行為が国家によって行われた場合、それが主権的行為に該当するか否かに関係なく、国家の裁判権免除は否定されるとする有力な見解があるからです*3。今般の判決も、「本件行為は……当時日本帝国により計画的、組織的に広範囲に行われた反人道的犯罪行為であって国際強行規範に違反するものあり、当時日本帝国により不法占領中であった韓半島内において我が国民である原告らに行われたものであって、この行為が国家の主権行為であったとしても国家免除を適用することはできず、例外的に大韓民国の裁判所が被告に対する裁判権があるというのが妥当である」と判示しています*4。かかる見解は、当該判決が指摘するように、主権免除の原則の趣旨が「主権国家を尊重しみだりに他国の裁判権服従しないようにする意味を有するものであり、絶対規範(国際強行規範)に違反し他国の個人に大きな損害を与えた国家が国家免除理論の背後に隠れ、賠償と補償を回避できる機会を与えるために形成されたものではない」点に鑑みても、理にかなうものであるといえます。

もちろん、ソウル中央地方法院が採用した法律構成も、数ある法律構成のうちのひとつです。しかし、それは「慰安婦判決は国際法違反」というのが絶対的真理であることの理由にはなりません。

このように、「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さないのが決まり」というのは絶対的なものではなく、主権免除を否定することが必ず国際法に違反するというわけではないので、今般の判決を「国際法に違反する」と断言することはできません。日本政府は勘違いをしていますが、「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さないのが決まり」というのは、それだけでは決して今般の判決が「国際法に違反する」ことの理由にはならないのです。しかるに、日本政府が今般の判決を「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さないのが決まり」であり「国際法に違反する、常識では考えられない判決」だと言い立てるのは、つまるところ「韓国は非常識な国だ」という印象操作で韓国を貶めたいのでしょうが、それはあまりに稚拙で不見識と言わざるを得ません。

己の不見識を恥じるどころか、なおも「(今般の判決のせいで)国際法上も2国間関係上も、到底考えられない異常な事態が発生した」と言い立てる日本政府ですが*5、本当に異常なのは、政府の閣僚や高官が「慰安婦判決は国際法違反だ」などといい加減なことを言い、それをマスメディアが無批判に垂れ流す日本の状況です。そして、人権という国際社会共通の普遍的な価値*6に鑑みて本当に非常識なのは、日本軍性奴隷制被害者の人権救済を軽んじる日本政府の態度です。

 

参考

japan.hani.co.kr

www.thenewstance.com

justice.skr.jp

民主主義と象徴天皇制は、決して両立しない。

保守派はもとよりリベラル派の中にも、民主主義と象徴天皇制が両立すると考える人は少なくありません。たしかに、象徴天皇制日本国憲法上の制度です。しかし、だからといって民主主義と象徴天皇制が両立すると結論付けるには早すぎます。

民主主義は、「治者と被治者の自同性」すなわち人民が治められる者であると同時に治める者であることを本質とするものです。他方、天皇制は、天皇の権威によって人民を抑圧し支配する装置であり、それは天皇に主権があろうとなかろうと変わらない天皇制の本質です。つまり、人民が治められる者であると同時に治める者であることを本質とする民主主義と、天皇の権威によって人民を抑圧し支配する装置である天皇制は、本質的に相容れないものなのです。民主主義国家を装った天皇制国家が、天皇制廃止を訴える人民を暴力装置を用いて弾圧する*1のは、まさにその表れです。

象徴天皇制は、それが身分差別制度である点でも民主主義と本質的に相容れません。すなわち、「治者と被治者の自同性」を本質とする民主主義は、自由で平等な個人を前提としています。それゆえ、身分差別制度である象徴天皇制は民主主義と本質的に相容れないのです。この点について、天皇制擁護論者は「主権者である国民が平等であればよい」と言うかもしれません。しかし、先に述べたように天皇制が天皇の権威によって人民を抑圧し支配する装置であり、それが「治者と被治者の自同性」を本質とする民主主義と本質的に相容れないものである点に鑑みれば、たとえ「主権者である(人民ではなく)国民」が平等であったとしても、それはせいぜい一君万民の民本主義であって、民主主義ではありません。

このように、民主主義と象徴天皇制は、たとえ象徴天皇制日本国憲法上の制度であっても、決して両立しません。それゆえ、天皇制の廃止は、日本の真の民主化を進める上で絶対避けて通ることはできないものなのです。

日本政府は、日本軍「慰安婦」訴訟の判決を真摯に受け入れるべきである。

菅首相「韓国は国際法上の違反 是正措置を」韓国での判決受け | 日韓関係 | NHKニュース

 

本当に日本軍性奴隷制被害者に対する「心からのおわびと反省の気持ち」*1が日本政府にあるならば、日本政府は今般の判決を真摯に受け入れるはずです。しかし、今般の判決に対する日本政府の態度に鑑みると、日本政府による「心からのおわびと反省の気持ち」の表明は、やはり口先だけのようです。

日本の菅首相は、今般の判決を「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さないのが決まり」であり、国際法上の違反であると主張しています。たしかに、慣習国際法上は主権国家は他国の裁判権に従うことを免除されるという主権免除の規則が存在します。しかし、これは決して絶対的な規則ではありません。なぜなら、今日では国家の私法的・商業的な行為については裁判権からの免除を認めないとする「制限免除主義」が通説だからです(最高裁判所平成18年7月21日第二小法廷判決)*2。そして、法廷地国の領域内における外国の不法行為による人身傷害及び財物毀損についての金銭賠償請求訴訟では主権免除を認めないという、主権免除の例外である「不法行為例外」が多くの国の裁判例、国内法、条約*3で認められており、日本も外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律*4第12条でこの「不法行為例外」を採用しています。したがって、日本軍性奴隷制被害者に対する加害行為の一部(欺罔又は強制による連行)が多くの場合韓国の領域内を起点として行われており、法廷地国領域内の不法行為であることに鑑みれば、不法行為例外の適用により主権免除を否定することが可能です山本晴太「『慰安婦』訴訟における主権免除」*5なお、不法行為例外の適用と「武力紛争遂行過程における」「国家の軍隊による行為」には主権免除が適用されるという慣習国際法との関係については、同論文のⅣ-2を参照してください。)。したがって、今般の判決が「国際法上の違反である」というのは、あくまでも日本政府の一方的な主張にすぎません。しかるに、それをあたかも絶対的真理であるかにように語ることは、知的不誠実であると言わざるを得ません。

日本では、大手メディア*6や野党*7が今般の判決による「日韓関係の一層の悪化」を真っ先に憂慮していますが、しかし、そこでいう「日韓関係」とはせいぜい新植民地主義的な「日韓65年体制」に基づく関係でしょうから*8、そのような「日韓関係」を日本軍性奴隷制被害者の人権救済よりも優先するべき道理はありません。なぜなら、日本軍性奴隷制問題は日韓の政治的対立の問題ではなく、日帝による不法な朝鮮の植民地支配を背景とした人権侵害の被害者救済という人権の問題であって*9、日本軍性奴隷制問題で何よりも大切なのは被害者の人権救済だからです。そして、慣習国際法と解される世界人権宣言*10第8条*11が人権侵害に対する効果的な司法的救済を受ける権利を規定していることに鑑みれば、韓国の裁判所が日帝による不法な朝鮮の植民地支配を背景とした人権侵害に対する効果的な司法的救済を拒否する理由はありません。これは、日本の裁判所が外国人被害者の裁判利用を拒否する*12のであれば、なおのことです。日本の外務省幹部は、今般の判決を「国際法的にも常識的にも、あり得ない判決だ」と腐していますが*13国際法的にも常識的にもあり得ないのは、慣習国際法である世界人権宣言第8条の趣旨にも人道にも悖る日本政府の態度です。

さて、不法行為例外を適用する前提として日本軍性奴隷制による人権侵害を不法行為と構成することについては、「人権が国際規範として本格的に発展するようになったのは国連創設以降のことであり、それ以前の戦時性暴力を不法行為とだというのは無理がある」という批判があります*14。たしかに、国連創設以前の戦時性暴力は、帝国主義列強が暴力によって築いた「当時の国際秩序」に鑑みれば不法行為ではなかったのかもしれません。しかし、それはあくまでも帝国主義列強が暴力によって築いた「当時の国際秩序」に照らした結論であって、基本的人権の尊重という人類普遍の価値に照らした結論ではありません。そして、第2次世界大戦後の人権を重視する国際法の流れが、まさに帝国主義列強が暴力によって築いた「当時の国際秩序」を問うものであることに鑑みれば、国連創設以前の戦時性暴力を不法行為と構成することは、決して困難ではなく、むしろ第2次世界大戦後の人権を重視する国際法の流れに合うといえます。また、基本的人権の尊重が人類普遍の価値であることを考えれば、国連創設の前後云々は問題ではないでしょう。

日本を代表する「リベラル紙」である朝日新聞は、社説*15で「2015年の日韓『慰安婦』合意を礎に解決模索を」と主張し、それを困難にしたのは「前政権が結んだ合意を文在寅(ムンジェイン)政権が評価せず、骨抜きにしてしまったことが最大の原因だ」と述べています。しかし、それは傲慢な勘違いです。日本の法的責任を曖昧にするための欺瞞にすぎない*16「日韓『慰安婦』合意」では、決して日本軍性奴隷制問題の真の解決を実現することはできません*17。そして、日本軍性奴隷制問題の解決を困難にしているのは、「日韓『慰安婦』合意」を評価しない文在寅政権ではなく、日本軍性奴隷制による人権侵害について法的責任を認めず、口先だけの「おわびと反省」で法的責任を逃れようとする日本政府です。

日本軍性奴隷制問題の真の解決に必要なのは、何よりもまず日本政府が日本軍性奴隷制による人権侵害について法的責任を認め、それに基づいた謝罪をすることです。それゆえ日本政府は、「韓国の裁判所の判決は国際法違反だ」などと詭弁を弄するのではなく、今般の判決を真摯に受け入れるべきです。

 

参考

justice.skr.jp

www.thenewstance.com

 

*1:慰安婦問題 安倍首相が「心からのおわびと反省」表明 | 聯合ニュース

*2:裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

*3:国連国家免除条約  https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/shomei_23.html

*4:外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律 | e-Gov法令検索

*5:「慰安婦」訴訟における主権免除

*6:元慰安婦の損害賠償判決 日韓関係 一層悪化の見通し | 日韓関係 | NHKニュース

慰安婦訴訟で日本政府に賠償命令 韓国地裁、外交関係一層悪化へ | 共同通信

*7:野党も慰安婦判決を批判 立民「日韓関係悪化」 共産は理解 - 産経ニュース

*8:慰安婦賠償判決、日韓に深い傷 65年協定を形骸化: 日本経済新聞

*9:日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題は、「日韓の政治的対立」ではない。 - あしべの自由帳

*10:世界人権宣言(仮訳文)

*11:

第八条
 すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。

*12:最高裁平成19年4月27日判決 

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

*13:慰安婦訴訟で日本政府に賠償命令 韓国地裁、外交関係一層悪化へ | 共同通信

*14:反日韓国という幻想:日韓の新たな火種に? 「慰安婦賠償請求で日本政府が敗北」するかもしれない驚くべき事情 | 週刊エコノミスト Online

*15:(社説)慰安婦判決 合意を礎に解決模索を:朝日新聞デジタル

*16:12/28日本軍「慰安婦」問題での欺瞞的な日韓政府合意にたいする韓国挺身隊問題対策協議会の立場

*17:[社説]世界基準に合う慰安婦問題解決を日本に求める : 社説・コラム : hankyoreh japan

旭日旗の使用は、なぜ問題なのか。

旭日旗をめぐる問題*1について、日本では「旭日旗の使用が問題されるのは、韓国が旭日旗を『戦犯旗』と決めつけるからである」という論調が右派メディアを中心に展開されています*2。要するに、「『旭日旗問題』はそもそも存在しないのに、韓国が旭日旗に難癖をつけるから問題化するのだ」と言いたいのでしょう。しかし、それは「旭日旗問題」の本質を見誤っています。

旭日旗は、韓国が「戦犯旗」と決めつけるから戦犯旗なのではありません。旭日旗が戦犯旗なのは、それがアジアを侵略した日本軍の軍旗(軍艦旗)であり、それゆえに日本軍国主義の象徴だからです。つまり、旭日旗を戦犯旗にしたのは他でもない日本であって、たとえ韓国が旭日旗を「戦犯旗」として批判の対象にしなくても、旭日旗の使用は日本軍国主義を賛美し侵略戦争と植民地支配の歴史を正当化するものだと批判されてしかるべきなのです。そして、旭日旗は日本がアジア侵略に手を染めた時から戦犯旗なのですから、韓国がいつから旭日旗を非難し始めたかということは問題ではありません。

さて、旭日旗の使用を批判する日本のリベラル派の中には、旭日旗を「排外主義者が排外デモで使うことによって排外主義の象徴にされてしまった」あるいは「日本の侵略戦争を美化し、正当化する極右主義者が軍国主義の象徴にしてしまった」と言う人がいます。

たしかに、排外主義者や極右主義者が旭日旗を好むというのはその通りです。しかし、旭日旗が排外主義あるいは軍国主義の象徴なのはアジアを侵略した日本軍の軍旗(軍艦旗)だからであることに鑑みれば、排外主義者や極右主義者が旭日旗を排外主義あるいは軍国主義の象徴にしてしまったというのは正しくありません。旭日旗は、排外主義者や極右主義者に使われる以前から排外主義あるいは軍国主義の象徴なのです。それだからこそ、旭日旗は排外主義者や極右主義者に好まれるのです。

旭日旗が排外主義者によって差別のシンボルとして用いられていることに関しては、「旭日旗を禁止すべき理由を歴史から語る必要はない。旭日旗が排外主義者によって差別のシンボルとして用いられているという事実を挙げれば十分である」という意見もあります。しかし、私は歴史を軽視するその意見に賛同できません。

もし旭日旗が排外主義者によって差別のシンボルとして用いられなくなったとしたら、例えばスポーツの応援で旭日旗を用いることが許されるようになるのでしょうか。もし「旭日旗を禁止すべき理由を歴史から語る必要はない」のであれば、旭日旗が排外主義者によって差別のシンボルとして用いられなくなった以上は、スポーツの応援で旭日旗を用いることは許されるようになるはずです。しかし、旭日旗の使用が問題となるのは、それがアジアの諸民族を暴力で支配し抑圧した「皇軍」の軍旗として使われた歴史があるからですが、かかる歴史に鑑みれば、たとえ旭日旗が排外主義者によって差別のシンボルとして用いられなくなったとしても、旭日旗を禁止すべきことに変わりはありません。つまり、旭日旗がアジアの諸民族を暴力で支配し抑圧した「皇軍」の軍旗として使われた歴史は、旭日旗を禁止すべき理由の本質にかかわるものであり、歴史を抜きにして「旭日旗を禁止すべき理由」を語ることは決してできないのです。

日本政府は、「旭日旗のデザインは、大漁旗や出産、節句の祝い旗、あるいは海上自衛隊の艦船の旗、日本国内で広く使用されて」いることを理由に、旭日旗が「軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」と主張しています*3。たしかに、旭日旗のデザインが日本国内で広く使用されているのはその通りかもしれません。しかし、これまで述べてきたように、旭日旗軍国主義の象徴なのは、それがアジアを侵略した日本軍の軍旗(軍艦旗)だからであり、旭日旗のデザインが日本国内で広く使用されているからといってそれが変わるわけではありません。旭日旗のデザインが日本国内で広く使用されていようが、アジアを侵略した日本軍の軍旗(軍艦旗)である旭日旗軍国主義の象徴なのです。

海上自衛隊の艦船の旗として認められているから旭日旗軍国主義の象徴ではないというのも、つまりは「自衛隊は、旧日本軍とは違うから」ということなのでしょう。たしかに、日本国憲法は第9条で「戦力の不保持」をうたっているのですから、自衛隊は旧日本軍と違わなければなりません。それなのに、どうして自衛隊は日本軍国主義の象徴である旭日旗を使うのでしょうか。日本が本当に軍国主義と決別したならば、自衛隊が日本軍国主義の象徴である旭日旗を使うことはできないはずです。

旭日旗問題」は、戦後日本が軍国主義と決別したかどうかという、日本人自身の問題です。つまり、旭日旗は、日本人が自らの手で焼き払うべきものなのです。

日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題は、「日韓の政治的対立」ではない。

「日韓友好」を謳う「良心的日本人」の中には、日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題を「日韓友好に水を差すものであり、日韓友好を望む日韓両国民にとって迷惑な政治的対立である」と捉えている人がしばしば見受けられます。

たしかに、日本の主流メディアは、いわゆるリベラル・メディアまでもが、日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題をあたかもそれが「日韓の政治的対立」であるかのような論調で報じています。しかし、日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題を「日韓の政治的対立」と捉えるのは大きな間違いです。

日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題は、日帝による不法な朝鮮の植民地支配を背景とした人権侵害の被害者救済の問題です。すなわち、それは人権の問題であって、日韓が政治的に対立するような問題ではありません。

日本軍性奴隷制日帝強制動員は、日帝による不法な朝鮮の植民地支配を背景とした人権侵害ですから、それについて第一義的責任を負うの日本政府です。そして、人権侵害の救済である以上、それは法的責任でなければなりません。しかるに、日本政府はいまだその責任を誠実に果たさず*1、それどころか人権の問題を政治的対立の問題にすり替えて韓国に責任転嫁する始末です*2。つまり、もし「日韓友好」に水を差すものがあるとすれば、それは日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題ではなく、日帝による不法な朝鮮の植民地支配を背景とした人権侵害の責任を誠実に果たそうとせず、日帝による不法な朝鮮の植民地支配の正当化に腐心する日本政府の無責任で不誠実な態度です。

日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題を「日韓友好に水を差すものであり、日韓友好を望む日韓両国民にとって迷惑な政治的対立である」と捉えている人は、もしかすると「私は日本人である前に一人の人間なのだから、国同士の政治的対立なんて私には関係ない」と言うかもしれません。たしかに、その人が「日本人である前に一人の人間」なのはその通りです。しかし、前述したように日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題は「国同士の政治的対立」の問題ではなく人権の問題ですから、「日本人である前に一人の人間」であるその人にとって決して無関係ではありません。そして、その人が「日本人である前に一人の人間」であればこそ、その人は「一人の人間」として人権の問題である日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題と真摯に向き合い、日本政府が日帝による不法な朝鮮の植民地支配を背景とした人権侵害の責任を誠実に果たすよう求めるべきです。それは、現在を生きる日本国民が負うべき責任でもあります。「日韓友好」を謳うことや「日本人である前に一人の人間」であることは、その責任を免れることができる「免罪符」には決してなりません。

「不買運動」に対して否定的な人が誤解していること

DHC会長、人種差別的文章を掲載 不買運動広がる 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

DHC会長が民族差別を煽動する文章を発表したことを受けて、DHC製品の不買を呼び掛ける声が広がる一方、「悪いのは会長であって従業員に罪はないのだから、従業員の生活に影響を与えかねない不買運動はやめるべきだ」という声も少なくありません。

「悪いのは会長であって従業員に罪はない」というのは、たしかにそうかもしれません。しかし、それを理由に「不買運動はやめるべきだ」と言う人は、問題の本質を誤解しています。

今般の問題の本質は、企業(資本家)が差別煽動で儲けることです。ヘイトスピーチ解消法*1第3条*2に鑑みれば、それはまさにコンプライアンス違反であり、企業活動として到底許されないものです。そして、企業(資本家)が差別煽動で儲けることが、企業活動として到底許されないものであることは、資本主義的搾取関係における被搾取者である従業員が差別煽動に関わっていようといまいと、変わりはありません。なぜなら、従業員の賃金は(たとえそれが「汚れた金」であろうと)労働の対価であって差別煽動による儲けそのものではなく、差別煽動による儲けは資本家のものだからです。つまり、「不買運動」は資本家を差別煽動で儲けさせないことを目的(「不買運動」を通じて差別を許容しない価値観を社会に浸透させることが大きな目的であることはいうまでもありません。)とするものであり、そこでは「従業員に罪がない」ことは問題にならないのです。もしDHC従業員の生活を脅かすものがあるとすれば、それは「不買運動」ではなくDHC会長による差別煽動です。

そもそも、DHCが差別煽動で儲けることを許さなければDHC従業員の生活が守られないというのがおかしな話です。ただ、資本家が労働者の生殺与奪の権を握る資本主義経済システムの下では、それをおかしな話だと思う人は少ないでしょう。この点に鑑みると、企業による差別煽動に関しては、やはり資本主義経済システムそのものを問う必要があると思います。

 

*1:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律 | e-Gov法令検索

*2:

(基本理念)

第三条 国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。

「反共主義」は、民主主義を守るどころか民主主義を歪めてしまう。

“一個の怪物がヨーロッパを徘徊している。すなわち共産主義の怪物である。古いヨーロッパのあらゆる権力は、この怪物を退治するために、神聖同盟を結んでいる。”(カール・マルクス共産党宣言』)

1991年のソ連崩壊後も、日本では国民の間に「反共主義は、共産主義という『悪魔』から民主主義を守るための聖なる戦いである」という「反共主義」の神話が根強く残っています。それは、国民の多くが中国や朝鮮といった「共産主義国」を敵視したり、日本共産党を「共産党」という名称ゆえに敬遠することからも明らかです。

いわゆる「自由民主主義国」の国民の多くが信じてやまない「反共主義」の神話ですが、しかし、「反共主義は、共産主義という『悪魔』から民主主義を守るための聖なる戦いである」というのは真実ではありません。「反共主義」は、共産主義から民主主義を守るどころか、むしろ民主主義を歪めてしまいます。すなわち、民主主義を守るための手段であるはずの「反共主義」が目的化するという倒錯が生じ、そうして至上の目的となった「反共主義」を実現するために民主主義が歪められてしまうのです。このことは、東アジアの現代史を見れば明らかです。

反共主義」は、共産主義が民主主義と矛盾するものであることを前提としています。しかし、そもそもその前提が間違いです。たしかに、たとえばスターリニズムは民主主義と矛盾するものであるかもしれません。しかし、共産主義それ自体は、決して民主主義と矛盾するものではありません。すなわち、共産主義は資本家による労働者の搾取を本質とする資本主義を否定するものであって、治者と被治者の自同性を本質とする民主主義を否定するものではないのです。

 

www.iwanami.co.jp