葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「戦後日本」は、何を反省し、何を反省しなかったか。

終戦77年、不戦の誓い新た 天皇陛下「深い反省」―コロナで3年連続縮小・戦没者追悼式:時事ドットコム

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終戦の日」あるいは「敗戦の日」と呼ばれる8月15日*1、日本では「先の大戦への反省」が語られます。日本政府も、「戦後日本」が「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してき」たと言います*2

もちろん、「戦後日本」が「先の大戦」すなわちアメリカをはじめとする「連合国」と戦った第二次世界大戦における行いを反省することも必要です。しかし、「戦後日本」が痛切に反省すべきなのは、「先の大戦における行い」だけではありません。

天皇制国家」日本が犯した「罪」は、アメリカをはじめとする「連合国」と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な負け方をしたことだけでは決してありません。すなわち、「天皇制国家」日本は、第二次世界大戦以前に、朝鮮侵略の第一歩となった江華島事件、朝鮮王宮への侵犯、甲午農民戦争での日本軍による農民虐殺、朝鮮支配めぐる戦争である日清戦争、台湾植民地支配、朝鮮支配めぐる戦争である日露戦争、朝鮮植民地支配、中国侵略の始まりである満州事変、日中戦争日中戦争での日本軍による南京大虐殺……と、数々の「罪」を重ねてきました。そして、その延長線上に「先の大戦」という「罪」があるのです。これを考えると、「戦後日本」は、「天皇制国家」日本の朝鮮をはじめとするアジアへの侵略と植民地支配、そしてその根底にある日本帝国主義を何よりも痛切に反省すべきであり、「先の大戦における行い」を反省するだけでは全くもって不十分なのです。

「戦後日本」は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく憲法9条があるにもかかわらず、朝鮮戦争ベトナム戦争といった「アメリカの戦争」に加担し、憲法9条のおかげで自らの手を血で汚すことなく暴利をむさぼってきました。そして今、かつて「天皇制国家」日本が侵略した中国に対する戦争の準備をアメリカと共に進めています*3。これは、つまりところ「戦後日本」の「反省」が、アメリカをはじめとする「連合国」と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な負け方をしたことを反省するだけにとどまるものだからです。そして、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配をまるで反省していないから、今日もなお「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配の元凶である天皇制が存続し、今も続く「天皇制国家」日本の政府や多くの国民は、臆面もなく「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配を美化あるいは正当化したり、日本軍性奴隷制日帝強制動員といった日帝植民地支配下における人権侵害の事実を否定あるいは矮小化したりするのです。

「戦後日本」が再び繰り返してはならない「過ち」は、「無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な負け方をしたこと」ではありません。「天皇制国家」日本による侵略戦争と植民地支配こそが、「戦後日本」が再び繰り返してはならない「過ち」なのです。そして、その「過ち」を再び繰り返さないためには、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配を真摯に反省し、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配の根底にある日本帝国主義を克服することが必要不可欠なのです。