葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

恋する、ということ。

誰かを好きになろうとして好きになることは、もちろんできるでしょう。しかし、反対に、誰かを好きになろうとしなくても好きになってしまうこともあるでしょうし、それがきっと、恋することなのではないでしょうか。 ただ、誰か(あえていえば、誰でも良いか…

「労働」と「遊び」について

「人間の遊び、真に人間的な遊びは、まずは労働であった。つまり、遊びとなった労働だったのである。」(ジョルジュ・バタイユ『エロスの涙』森本和夫訳) 「好きなことを仕事にしたい」 これはきっと、誰もが一度は思い描いたことのある理想ではないでしょ…

必然の連なりという物語。

結末から見れば必然の連なりのようなものであっても、頭から見た途端に、必然の連なりに見えたそれは、脆い偶然の重なりに過ぎないものであるという真実の姿を曝け出す。 なのに人は、どうしてもそれを必然の連なりとして語りたがるのだ。 そして、人は必然…

「自由」と「義務」について

自由には義務を伴う。 この、反論の余地がないように見える「正論」。 しかし、「自由」との関連で「義務」を考える場合、いったい「義務」はいかなる性質を持つものといえるでしょうか。 私が思うに、「義務」を「自由」に伴うものとしてその範囲で考える以…

現実

「私は、正しく『現実』を知っている。」 そう誇らしく思う気持ちは、わからなくも、ない。 しかし、 はたしてその『現実』の認識は正しいか? その『現実』は真なる『現実』か? 一度くらいは疑ってみるのも、決して悪いものではない。 私は、思う。 人は、…