葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

生活保護制度における国籍差別に断固として反対する。

世界人権宣言

 

第二十二条

すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。

日本では、生活保護制度における国籍差別を肯定する言説が後を絶ちません。

たしかに、最高裁判所は、2014年の「永住外国人生活保護訴訟」最高裁判決で、生活保護法第1条及び第2条がその適用の対象を「国民」と定めていることから「外国人は、行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象となり得るにとどまり、生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく、同法に基づく受給権は有しない」と判示しています*1(なお、同判決は、「外国人は……生活保護法に基づく保護の対象となるものではない」と判示するにとどまり、生活保護法で外国人に生活保護受給権を付与することが憲法上禁止されているか否かについては判示していません。したがって、同判決を根拠として援用した「在日外国人の生活保護受給は憲法違反である」という言説は誤りです*2。)。しかし、この最高裁判決は、生存権が普遍的権利たる人権であることを不当に軽視しています。

生活保護制度は、生存権を保障した憲法25条を具体化した制度です。そして、生存権は、「人種、性、身分、国籍などの区別に関係なく、人間であることに基づいて当然に享有できる権利」たる人権です。つまり、人権である生存権は国籍にかかわりなく享受することができる普遍的権利ですから、生存権を具体化した制度である生活保護制度における国籍差別は決して許されないことなのです。

生活保護制度における国籍差別を肯定する人は、「外国人の生活保護は出身国がやるべきことだ」と言います。たしかに、「生存権の保障は当該外国人が本来所属する国の責任である」とする学説もあります。しかし、人権は「国民の権利」ではなく人間の権利ですから*3、国は人権である生存権を守る責任を「国民」ではなく人間に対して負っているはずです。また、憲法25条が保障する生存権は「生活を営む権利」なのですから、これについては、現時点における生活の本拠こそが重要なのであって、国籍は全く重要ではありません。それゆえ、外国人の生存権保障は当該外国人が現在居住している国の責任であると考えるべきです。

憲法25条が保障する生存権は、「日本国民の特権」ではなく普遍的権利たる権ですから、「日本国民」でないことを理由に「外国」の生存権保障を否定するのは背理であると言わざるを得ません。私は、生活保護制度における国籍差別に断固として反対します。