葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

8月15日

戦後76年の終戦の日 感染対策取りながら戦没者追悼の集会開催 | NHKニュース

 

アジア・太平洋戦争が日本の侵略戦争であったことに鑑みれば、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことは全くの欺瞞です。それゆえ、左翼あるいはリベラル派の中には、8月15日を「敗戦記念日」と呼ぶ人もいます。

しかし、左翼である私は、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことだけでなく、「敗戦記念日」と呼ぶことにも違和感と躊躇を覚えます。誤解のないようにお断りしておきますが、私は左翼ですから、右派のように「敗戦記念日」と呼ぶことが「自虐史観」によるものだと言いたいのではありません。私が8月15日を「敗戦記念日」と呼ぶことにも違和感と躊躇を覚えるのは、「戦後日本」が日帝のアジア侵略と植民地支配について真摯に反省しているとは到底言い難い(私は、多くのリベラル派が高く評価する「河野・村山談話」も、真摯な反省としては不十分であると考えています。*1)ことに鑑みると、「戦後日本」にとって「敗戦」とは、主観的にはあくまでもアメリカに対する敗戦であって、それは強国アメリカと無謀な戦争をしたことを反省する契機となりこそすれ、アジアに対する侵略と植民地支配を反省する契機とはなっていないからです。リベラル派の中にも誤解している人がしばしば見受けられますが、「戦後日本」が本当に反省すべきなのは、決して「強国アメリカと無謀な戦争をしたこと」ではありません。

たしかに、1945年8月15日にアジア・太平洋戦争は終わり(もっとも、8月15日を「終戦の日」と呼ぶのは、本当は正しくありません。なぜなら、本当に戦争が終わったのは、沖縄戦終結した9月7日だからです。つまり、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことは、「皇軍」の沖縄に対する加害をも忘却させるのです。)、日本は戦争で負けました。そして、「軍国主義国家」から「平和主義国家」へと装いを変えました。しかし、それでも日本の人民は、「君が代」を自らの手で打ち壊すことも「日の丸」を自らの手で焼き払うこともしませんでした。すなわち、日本の人民は、いまだ「日帝」を克服して民主化を果たすことができずにいるのです*2。それを考えると、左翼あるいはリベラル派が「8月15日は、日本の人民が『日帝』から解放された日でもある」と言うのも、やはり欺瞞であり、そして傲慢であると言わざるを得ないでしょう。