葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

差別が許される「理由」など、そもそもない。

www.asahi.com 朝鮮学校の授業料無償化除外について、安倍政権は「拉致問題の進展も見られず、(朝鮮学校が)朝鮮総連と密接な関係がある」ことを理由に正当化しています*1。おそらく、日本国民の多くはそれを「もっともな理由」だと感じているでしょう。 し…

「暴力を表現すること」と「暴力で表現すること」は、別のものである。

「セックスや暴力を描写した表現の自由を守るために、差別煽動表現は規制されてはならない」と言う人がいます。 「セックスや暴力を描写した表現の自由」が守られるべきであるのは、たしかにその通りです。しかし、だからといって、「差別煽動表現は規制され…

「嫌韓」という言葉を使うのは、もうやめよう。

はじめにお断りしておきますが、「『嫌韓』という言葉を使うのは、もうやめよう」というのは、「嫌韓」と呼ばれる日本人の態度や言動を批判してはならないということではありません。また、本稿で言いたいことは「『嫌韓』より『好韓』を」でもありません。…

本当に必要なのは、「復興」ではなく「再生」である。

www.nikkei.com 東日本大震災から8年。政府や国民にとっての最大の関心事は、やはり「震災からの復興」でしょう。 しかしながら、私は当たり前のように使われる「復興」という言葉に、いささか疑問をもっています。つまり、被災地にとって本当に必要なのは…

「日本はいつまで謝罪し、反省し続けなければならないのか」という問いは、ナンセンスである。

日帝による侵略戦争や植民地支配に関して、日本でしばしば言われるのが「日本はいつまで謝罪し、反省し続けなければならないのか」という言説です。おそらく、このように考えている日本国民は少なくないでしょう。 しかしながら、私が思うに、「日本はいつま…

「三・一運動」から100年を迎えて

今日3月1日は、日帝による植民地支配下の朝鮮の人民が、日帝による植民地支配からの独立を求めて立ち上がった「三・一運動」を記念する日である「三一節」です。そして、本年2019年は、1919年の「三・一運動」から100年の節目の年です。 「三一節」につい…