葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

民主主義の本質に鑑みれば、大椿ゆうこ参議院議員の「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」という言説は何も間違っていない。

社民党・大椿副党首「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違い」と持論展開 賛否の意見殺到/芸能/デイリースポーツ online

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社民党副党首の大椿裕子参院議員が23日、自身のX(旧ツイッター)を更新。「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」と持論を展開した。

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こうした大椿議員の持論には、さまざまな意見が寄せられた。「学がない連中はこのポストが正しいことなのが理解できないですよ」などの賛同意見も見られたが、「国家公務員法の否定ですか」「日本国籍の日本人の益(原文ママ)の為に、その代表として日本国の政治を担うんじゃないのか?」などと反発する意見も多く見られた。

 

社民党・大椿副党首「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違い」と持論展開 賛否の意見殺到/芸能/デイリースポーツ online

後述する民主主義の本質に鑑みれば、大椿ゆうこ参議院議員の「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」という言説は何も間違っていません。むしろ間違っているのは、「日本国籍の人のためだけに政治がある」という言説、そして、そのような間違った言説を生み出す日本の民主主義システムの状況、すなわち日本国籍ではない人たちが民主主義システムから疎外されている状況です。

民主主義の本質は「治者と被治者の同一性」すなわち治める者と治められる者が同一であることです。そして、日本国籍ではなく外国籍であっても「永住者」あるいは「定住者」であれば被治者なのですから(納税など日本国籍者と同様の公的義務を負う「永住者」あるいは「定住者」は、間違いなく被治者です。)、治者として政治に参加する権利を当然に有するのです。それゆえ、本当に日本が民主主義の国であるならば、日本国籍であるかどうかに関係なく治者かつ被治者である人民のために政治があるべきなのです。さらに言うと、民主主義の目的が究極的には個人の基本的人権を確保することであることに鑑みれば、民主主義政治は、日本社会のマイノリティとして人権を侵害されることが日本国籍者よりもはるかに多い「永住者」あるいは「定住者」である外国籍市民のためはもちろん、人権の普遍性にもかかわらず人権保障から疎外されている非正規滞在者のためにもあるべきものなのです。

もしかすると、「日本は『国民主権』の国だから、日本国籍の人のためだけに政治がある」と思っている人もいるかもしれません。しかし、「国民主権」の本質的な意義は君主が主権を持たず人民が主権を持つ点にあるのであって、かかる意義からすれば本来的に主権者を日本国籍者に限るべき理由はありません。それゆえ、日本が「国民主権」の国だからといって、日本国籍の人のためだけに政治があるというわけではないのです。

大椿議員の言説に対して「日本国籍の日本人の益(原文ママ)の為に、その代表として日本国の政治を担うんじゃないのか?」と反発する意見は、「学がない」云々ではなく、つまるところ外国人差別や排外主義の発露です。それゆえ、「日本国籍の人のためだけに政治がある」という間違った言説を正すためには、そのような間違った言説を生み出す日本の民主主義システムの状況を変えること*1はもちろんのこと、それと同時に外国人差別や排外主義がはびこる日本社会を変えること*2が必要不可欠です。