葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題の本質

公務に殉じた人の追悼、議論を 元防衛次官がみる自衛隊の靖国参拝:朝日新聞デジタル

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上掲記事で元防衛事務次官守屋武昌氏は、次のように述べています。

ただ、このことはわかってほしい。旧日本軍と自衛隊は違いますが、自衛官は国民のために命をかけています。その意味で「同じ職業」という意識はあるでしょう。幹部らの靖国参拝の報道を見ましたが、戦争を美化しようとしているのではなく、公務に殉ずる意識の表れだと私は思います。

 

公務に殉じた人の追悼、議論を 元防衛次官がみる自衛隊の靖国参拝:朝日新聞デジタル

守屋氏の論理からすると、旧日本軍の軍人も「国民のために命をかけてい」たことになるでしょう。しかし、「皇軍」すなわち「天皇の軍隊」の軍人である旧日本軍の軍人は天皇のために命をかけていたのであって、「国民のために命をかけてい」たのではありません。

ただ、自衛官自衛官と旧日本軍の軍人が「同じ職業」だという意識がある、というのは、確かにそうかもしれません。思うに、それは日本軍「自衛隊」が旧日本軍と本質的に変わらないことによります。日本軍「自衛隊」が「国民を守るための存在」だというのは欺瞞です。日本軍「自衛隊」の前身である警察予備隊アメリカの冷戦政策上の必要性から日本の再軍備*1の第一歩として創設されたという日本軍「自衛隊」が創設された経緯に加え、戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって昭和天皇裕仁と支配層が固執した「国体護持」(=天皇制の維持)*2が達成されたことに鑑みると、日本軍「自衛隊」の基本的な理念・役割は、米国主導の東アジア国際秩序を守ることを通じて天皇制国家を守ることだといえます。つまり、日本軍「自衛隊」の究極目的は天皇制国家を守ることであって、自衛官も究極的には旧日本軍の軍人と同様に天皇のために命をかけているのです。だからこそ、幹部が天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設である靖国神社に平気で参拝できるのです。そして、天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設である靖国神社に組織的に参拝するということは、日本軍「自衛隊」は天皇の国のために殺し殺されることもいとわないということです。守屋氏は「幹部らの靖国参拝の報道を見ましたが、戦争を美化しようとしているのではなく、公務に殉ずる意識の表れだと私は思います」と言いますが、幹部らの靖国参拝天皇の国のために戦争で死ぬことを美化するものであると言わざるを得ません。

日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題に関して「日本のために命を落とした人をどう追悼するか。政治家は、もっと議論すべきです」と言う守屋氏は、日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題の本質をはぐらかしています。日本軍「自衛隊」による靖国神社集団参拝の問題の本質は、「日本のために命を落とした人をどう追悼するか」ではなく、天皇の国のために戦争で殺し殺されることを是とするか、です。そして、日本の人民が天皇の国のために戦争で殺し殺されることを是としないのであれば、日本軍「自衛隊」という天皇の国のために殺し殺されることもいとわない軍隊と、靖国「神社」という天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設は、いずれも解体すべきであり、究極的にはそれらの根底にある天皇制を廃止するべきです。