葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

われわれ左派は「戦後日本は民主主義国家である」という幻想を捨てるべきである。

日本は国民が主権を持つ民主主義国家です。

 

総務省|選挙の意義

われわれ左派の中にも、「戦後日本は民主主義国家である」と信じて疑わない人は少なからずいるでしょう。

たしかに、戦後日本には、主権が「国民」にあると憲法で定められていますし、主権者である「国民」の選挙によって選ばれた代表者で構成される議会もありますから、政体は「民主主義」かもしれません。しかし、たとえ政体が「民主主義」であっても、中身が伴わなければ真の民主主義国家であるとはいえません。

「国民」の多くは、「戦後日本は民主主義国家である」と「お上」に言われたからそう信じているだけで、自らの手で民主主義を確実に掴んだわけではありません。はたしてそのような国が真の民主主義国家だと言えるのでしょうか。

民主主義とは治める者と治められる者が同一であること(治者と被治者の同一性)をいいますが、政権与党とその補完勢力は、多くの人民の反対の声を無視して政権の思い通りに様々な法改悪を強行しています*1。このことを考えると、治者と被治者が大きく乖離していると言わざるを得ません。また、日本国籍ではない永住者や定住者は、日本国籍者と同じ義務を負う「被治者」ですから、民主主義の下では日本国籍ではない永住者や定住者も「治者」であるはずです*2。それなのに、日本国籍ではない永住者や定住者は、ただ「日本国籍ではない」というだけで「治者」として本来保障されるべき参政権を奪われています。そして、「民主主義国家」であるはずの戦後の日本には、治者と被治者の同一性をいう民主主義と本質的に相容れない*3、神話という虚構に由来する天皇の権威によって人民を支配する装置である(この点については、天皇主権ではなくなった戦後も何ら変わりはありません。)天皇制が相変わらず存続しています。つまり、戦後日本は、たしかに政体は「民主主義」かもしれませんが、しかし治者と被治者が同一である国すなわち真の民主主義国家であるとは、およそ言えないのです。

誤解を恐れずに言います。われわれ左派は、日本の真の民主化を未だ果たせずにいる現実と向き合うべく、「戦後日本は民主主義国家である」という幻想を捨てるべきです。「戦後日本は民主主義国家である」という言説は、戦後日本の左派にとって「良心の拠り所」なのかもしれません。しかし、だからといって日本の真の民主化を未だ果たせずにいる現実から目を背け「戦後日本は民主主義国家である」という幻想に縋っていては、いつまでたってもわれわれ人民が自らの手で民主主義を確実に掴み日本の真の民主化を果たすことはできないでしょう。