葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「戦後日本」は「歴史の終わり」ではない。

リベラル派の中には、「戦後民主主義や戦後平和主義を保守する我々こそが『真の保守』である」と言う人がいます。

「真の保守」云々はさておき、左翼である私は、「戦後民主主義や戦後平和主義を保守する」という考えには賛同できません。

もちろん、私も、戦後民主主義や戦後平和主義の全てを否定するつもりはありません。しかし、戦後民主主義や戦後平和主義は、決して完全無欠のものではありません。すなわち、戦後民主主義や戦後平和主義は、民主主義とはおよそ相容れない天皇制の存続や平和主義をないがしろにするアメリカの戦争への加担といった矛盾を抱えています。こうした矛盾を看過して「戦後民主主義や戦後平和主義を保守する」ことは、真の民主主義や平和主義の実現の妨げにしかなりません。つまり、戦後民主主義や戦後平和主義は、「保守」すべきものではなく、真の民主主義や平和主義を実現するために乗り越えるべきものなのです。それとも、もしや「真の保守」を標榜するリベラル派の人たちは、民主主義とはおよそ相容れない天皇制の存続や平和主義をないがしろにしたアメリカの戦争への加担といった矛盾を温存したいのでしょうか。

戦後民主主義や戦後平和主義を「保守」したいリベラル派は、戦後民主主義や戦後平和主義をあたかも「絶対知」のように捉えているのかもしれません。しかし、戦後民主主義や戦後平和主義は「絶対知」のようなものでは決してなく、そして、「戦後日本」は「歴史の終わり」では決してありません。流れない水は腐ります。つまり、戦後民主主義や戦後平和主義がどんなに素晴らしいものであっても、真の民主主義や平和主義へと向かう流れをせき止めてしまえば、いずれは腐ってしまうのです。

yukito-ashibe.hatenablog.com

yukito-ashibe.hatenablog.com