葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「戦後の日本はまごうことなき『平和国家』である」という誤解が平和主義の真の実現を妨げている

戦後の日本はまごうことなき「平和国家」である、日本国民の多くはそう信じて疑わないでしょう。

たしかに、戦後の日本は「平和憲法を持つ国」であり、憲法9条のおかげで自らの手を血で汚さずに済んできました。しかし、戦後の日本が、憲法9条があるにもかかわらず朝鮮戦争ベトナム戦争といった「アメリカの戦争」に加担し、暴利をむさぼってきたのもまた真実です。そして、いまや日本は、憲法9条があるにもかかわらず世界第5位(2022年現在)*1の強大な軍事力を持つ軍事大国になりました。さらに、世界最強の軍事力を誇る軍事超大国アメリ*2とともに、対中国戦争の準備を現在進行形で進めています*3。このような戦後の日本は、はたして本当に日本国憲法が掲げる平和主義の理念を体現した「平和国家」であるといえるでしょうか。

もちろん、日本国憲法が掲げる平和主義の理念はかけがえのないものですし、これは絶対に堅持しなければなりません。しかし、日本国憲法が掲げる平和主義の理念と戦後の日本の現実に乖離が生じていることを看過してしまっては、いつまでたっても日本国憲法が掲げる平和主義の理念を真に実現することはできません。つまり、日本国憲法が掲げる平和主義の理念を真に実現するためには、何よりもまず平和憲法をないがしろにしてきた日本政府に平和憲法を遵守させることが必要なのです。

先に述べたような日本国憲法が掲げる平和主義の理念と戦後の日本の現実との乖離に鑑みれば、「戦後の日本はまごうことなき『平和国家』である」というのは誤解だと言わざるを得ません。そして、日本国民の多くがこのような誤解をし続ける限り、日本政府に平和憲法を遵守させようとするモチベーションが生じることはありませんから、日本が日本国憲法が掲げる平和主義の理念を体現した真の平和国家になることはないでしょう。つまり、日本国民が「戦後の日本はまごうことなき『平和国家』である」という誤解を改めて、日本国憲法が掲げる平和主義の理念と戦後の日本の現実との乖離を正しく認識する(もちろん、それは戦後の日本の現実に合わせて平和憲法を捻じ曲げるためではありません。)ことは、日本を日本国憲法が掲げる平和主義の理念を体現した真の平和国家にするための第一歩なのです。