葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

民主主義と象徴天皇制は、決して両立しない。

保守派はもとよりリベラル派の中にも、民主主義と象徴天皇制が両立すると考える人は少なくありません。たしかに、象徴天皇制日本国憲法上の制度です。しかし、だからといって民主主義と象徴天皇制が両立すると結論付けるには早すぎます。

民主主義は、「治者と被治者の自同性」すなわち人民が治められる者であると同時に治める者であることを本質とするものです。他方、天皇制は、神話という虚構に由来する天皇の権威によって人民を抑圧し支配する装置であり、それは天皇に主権があろうとなかろうと変わらない天皇制の本質です。つまり、人民が治められる者であると同時に治める者であることを本質とする民主主義と、神話という虚構に由来する天皇の権威によって人民を抑圧し支配する装置である天皇制は、本質的に相容れないものなのです。民主主義国家を装った天皇制国家が、天皇制廃止を訴える人民を暴力装置を用いて弾圧する*1のは、まさにその表れです。

象徴天皇制は、それが身分差別制度である点でも民主主義と本質的に相容れません。すなわち、「治者と被治者の自同性」を本質とする民主主義は、自由で平等な個人を前提としています。それゆえ、身分差別制度である象徴天皇制は民主主義と本質的に相容れないのです。この点について、天皇制擁護論者は「主権者である国民が平等であればよい」と言うかもしれません。しかし、先に述べたように天皇制が神話という虚構に由来する天皇の権威によって人民を抑圧し支配する装置であり、それが「治者と被治者の自同性」を本質とする民主主義と本質的に相容れないものである点に鑑みれば、たとえ「主権者である(人民ではなく)国民」が平等であったとしても、それはせいぜい一君万民の民本主義であって、民主主義ではありません。

このように、民主主義と象徴天皇制は、たとえ象徴天皇制日本国憲法上の制度であっても、決して両立しません。それゆえ、天皇制の廃止は、日本の真の民主化を進める上で絶対避けて通ることはできないものなのです。