葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「ミセスMV問題」について思うこと―「コロンブス」と「伊藤博文」と「旭日旗」

コロンブス、変わる評価 新大陸発見の英雄→植民地主義や人種差別想起 専門家「歴史を学ぶ必要」:朝日新聞デジタル

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MVはコロンブスらを模したメンバーが、訪れた島で類人猿に車を引かせたり、西洋音楽や乗馬を教えたりする。「人種差別的で、植民地支配を容認する表現と批判されても仕方がない」。米国の歴史に詳しく、世界史の教科書作りにも携わってきた一橋大学貴堂嘉之教授はそう指摘する。

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貴堂さんは「近代国家が先住民や黒人の不自由のもとで発展してきた歴史が現在と地続きであることを学ばなければならない」と話す。

 

コロンブス、変わる評価 新大陸発見の英雄→植民地主義や人種差別想起 専門家「歴史を学ぶ必要」:朝日新聞デジタル

同じ過ちを繰り返さないために歴史を学ぶ必要があることは、もちろんその通りです。ただし、同じ過ちを繰り返さないために日本人が学ばなければならない歴史は、決してヨーロッパ諸国による植民地支配の歴史だけではありません。

日本人が先住民族であるアイヌから強奪し植民地化した「北海道」は、近代国家としての日本のいわば「植民地主義の実験場」でした。そして、そこで練り上げた植民政策の実践として台湾や朝鮮を植民地支配し、被植民者を抑圧し搾取することで、近代国家としての日本は「帝国」として膨張していきました。さらに、日本はアジア太平洋戦争で敗戦した後も植民地主義清算することなく、米国主導の東アジア国際秩序の下での新植民地主義という巧妙な形でアジア人民を搾取し「経済大国」にのし上がりました。つまり、ヨーロッパ近代国家の「模倣品」である近代国家としての日本は、ヨーロッパ近代国家が先住民や黒人の不自由のもとで発展してきたのと同様に、アイヌ琉球民族といった「国内植民地」の先住民や朝鮮人をはじめとするアジア人民の不自由のもとで「発展」してきたのであり、その歴史は現在の「平和国家」日本と地続きであるのです。

今般の「コロンブス」MVは、先住民の虐殺や植民地主義の端緒を開いた負の側面を持つ「英雄」であるコロンブスを無批判に賛美したことが批判されましたが、一方で「戦後日本」を振り返れば、近代日本の植民地主義の端緒を開いた福沢諭吉伊藤博文といった人物が「偉人」して紙幣の肖像に採用されてきました(ちなみに、新一万円札の「顔」に選ばれた渋沢栄一日帝の朝鮮植民地支配を経済面から推進した人物です。)。これは今般の「コロンブス」MVと同様の問題のはずですが、しかし日本人の多くはまるで無頓着です。

もしかすると、「コロンブス」MVを批判した日本人の中には「『コロンブス』MVが問題なのはヨーロッパ諸国による植民地支配を容認する表現だからであって日本の歴史は関係ないし、そもそも日本はヨーロッパ諸国と違って植民地支配なんてしていない」と思っている人もいるかもしれません。しかし、今般の問題を引き起こしたのは、日本人の自己のうちに内面化された植民地主義ゆえの近代国家による植民地支配の歴史に対する無頓着さであり、日本人の多くが自己のうちに内面化された植民地主義を克服できないのは、日帝の植民地支配の歴史と真摯に向き合わずにいるからです。そして、日帝による台湾や朝鮮の植民地支配というまぎれもない歴史的事実と真摯に向き合わずにいるからこそ、「日本はヨーロッパ諸国と違って植民地支配なんてしていない」という歴史修正主義者の詭弁を鵜呑みにしてしまうのです。

今般の「コロンブス」MVの問題は、単なるヨーロッパ植民地主義の問題ではなく、普遍的な問題である植民地主義の問題であると同時に、日本人の自己のうちに内面化された植民地主義という日本の植民地主義の問題です。それゆえ、ヨーロッパ近代国家が先住民や黒人の不自由のもとで発展してきた歴史が現在と地続きであることだけでなく、ヨーロッパ近代国家の「模倣品」である近代国家としての日本がアイヌ琉球民族といった「国内植民地」の先住民や朝鮮人をはじめとするアジア人民の不自由のもとで「発展」してきた歴史が現在と地続きであることも学び、それらが植民地主義という普遍的な問題と同時に、未だ植民地主義清算していない日本においてマジョリティとして生きる自己のうちに内面化された植民地主義という日本人自身の問題であることを理解することが大切です。そうして、自己のうちに内面化された植民地主義の克服に努める人であれば、今般の『コロンブス』MVのようなヨーロッパ諸国による植民地支配を容認する表現だけでなく、例えば日本の帝国主義軍国主義を象徴する旭日旗を用いた演出といった日本のアジア侵略・植民地支配を容認する表現も植民地主義レイシズムを想起させるものであることが容易にわかるはずです。