葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「日本軍『慰安婦』問題は日韓両国の外交問題だ」という根強い誤解

外交努力と冷静な議論、日韓「和解」の基盤に 「帝国の慰安婦」訴訟:朝日新聞デジタル

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今般の韓国大法院判決の当否はさておき、日本では相変わらず「日本軍『慰安婦』問題は日韓両国の外交問題だ」という誤解が根強いように思います。

日本軍性奴隷制(日本軍「慰安婦」)問題は、「日韓両国の外交問題」ではなく、日帝の朝鮮植民地支配体制下における日本軍による女性への人権侵害という人権問題です。これまで日本の保守政権と韓国の軍事政権あるいは保守政権は、米国主導の戦後東アジア秩序を支える新植民地主義的な関係である日韓「1965年体制」を維持するという「外交」のために*1日本軍性奴隷制被害者の人権を犠牲にしてきました。日本軍性奴隷制問題を「日韓両国の外交問題」と考えるべきではない理由は、まさにここにあります。朝日新聞の箱田哲也氏*2は2015年の日韓両国の保守政権(日・安倍政権と韓・朴槿恵政権)による「『慰安婦』問題日韓合意」を肯定的に評価していますが、この「慰安婦問題日韓合意」こそ、まさに日韓両国の保守政権が韓国の民主化によって生じた日韓「1965年体制」の綻びを修復するという「外交」のために日本軍性奴隷制被害者の人権を犠牲にするものなのです*3

朴裕河はいかなる資格において、被害者たちに加害者を赦せと説くのだろうか?もと慰安婦のハルモニ、強制連行された労働者、日帝による弾圧被害者、その他の被害者たちが日本の植民地支配を明らかにすることを求めているのである。それらを代表する権利は、韓国という国家にもない。韓国という国家がそれらの要求を代弁する役割を付与されるのは、そうした被害者と、その意を汲んだ国民の要求に応えるためであり、その限りにおいてである。

[……]

「和解という名の暴力」は、和解達成を阻む主たる障害が被害者側の要求であるかのように主張し、和解という美名のもとに被害者に対して妥協や屈服を要求する。しかし、それは結局、真実を隠蔽することで責任の所在をあいまいにする結果を招き、長期的に見れば、むしろ問題の解決を遠のかせることになる。「和解という名の暴力」に反対する理由は、それが真の和解への障碍だからである。

 

徐京植植民地主義の暴力―「ことばの檻」から』高文研*4

韓国大法院が朴裕河氏の日本軍性奴隷制被害者に対する名誉毀損を認めなかったからといって、「和解という名の暴力」が正当化されるわけでは決してありません。箱田氏は「(慰安婦問題も徴用工問題も、韓国の)司法は、問題を根本的に解決することはできなかった」と言いますが、箱田氏は日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員(徴用工)問題について大きな勘違いをしています。日本軍性奴隷制問題や日帝強制動員問題は、日帝の朝鮮植民地支配体制下における日本軍や日本企業による人権侵害の問題です。したがって、それは当然のことながら、加害者である日本側の責任で解決すべきものです。つまり、問題を根本的に解決することができないのは、韓国の司法に問題があるのではなく、日本軍性奴隷制あるいは日帝強制動員について法的責任を頑として認めない日本政府と被告企業に問題があるのです。箱田氏は日本軍性奴隷制についての責任の所在をはぐらかすのをやめるべきです。

箱田氏は「日韓が真に和解を模索するのなら、司法ではなく、外交が機能するほかない」と言いますが、先にも述べたように、日韓「1965年体制」を維持するために日本軍性奴隷制被害者の人権を犠牲にして外交的な決着を図ることは決して許されません。もちろん、現実問題として日本軍性奴隷制被害者への早急な補償は必要です。しかし、日本軍性奴隷制について日本政府が法的責任を認めて真摯に謝罪することを日本政府に求める被害者の方々がいらっしゃる*5ことに鑑みれば、「日本とたたかっているのは、お金が欲しくてたたかっているのではない」*6という被害者の声を無視した(賠償金ではない)「償い金」や「癒し金」による解決方法では、日本軍性奴隷制問題を根本的に解決することは決してできないでしょう。「冷静な議論が欠かせない」と言う箱田氏ですが、日本軍性奴隷制問題が日帝の朝鮮植民地支配体制下における日本軍による女性への人権侵害という人権問題であり、それは徹頭徹尾加害者である日本側の責任問題であることを冷静に考えれば、日本政府が日本軍性奴隷制について法的責任を認めて真摯に謝罪し賠償することが、日本軍性奴隷制問題を根本的に解決するための最善かつ唯一の方法なのです。