葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本が本当に二度と繰り返してはならない過ちは何か。

戦後、我が国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。

戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを今後も貫いてまいります。未だ争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、そして、これからの世代のために、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。

 

令和5年8月15日 令和5年度全国戦没者追悼式総理大臣式辞 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ

岸田首相がアジア諸国への加害責任に触れなかった*1ことに鑑みると、岸田首相が言う日本が二度と繰り返さない「戦争の惨禍」とは、アメリカをはじめとする連合国と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無残な敗北を喫することなのでしょう。

岸田首相は「戦後、我が国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました」と言いますが、戦後の「天皇制国家」日本は、「天皇制国家」日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず、1950年に再軍備の第一歩を踏み出し*2、「平和憲法」のおかげで自らの手を血で汚すことなく朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)、イラク戦争(2003~11年)といった「米国の戦争」に加担して暴利をむさぼってきました。そして、いまや世界有数の強大な軍事力を持つ*3軍事大国となった「天皇制国家」日本は、2015年に戦争法*4が制定されたことによって、「集団的自衛権」の名の下に*5世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国であるアメリカの侵略戦争に参加できるようになりました。こうして、「集団的自衛権」の名の下にアメリカの侵略戦争に参加できるようになった「天皇制国家」日本はアメリカとともに、かつて「天皇制国家」日本が侵略した中国*6あるいは植民地支配した朝鮮民主主義人民共和国との戦争*7に向けた準備を着々と進め、「積極的平和主義」の名の下にそれを正当化しています。これは、つまりところ戦後の「天皇制国家」日本の「深い反省」が、アメリカをはじめとする連合国と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無残な敗北を喫したことを反省するにとどまるものだからです。そして、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配を真摯に反省していないから、今日もなお「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配の元凶である天皇制が存続し、今も続く「天皇制国家」日本の政府や多くの国民は、臆面もなく「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配を美化あるいは正当化したり、日本軍性奴隷制日帝強制動員といった日帝植民地支配下における人権侵害の事実を否定あるいは矮小化したりするのです。

天皇制国家」日本が犯した過ちは、アメリカをはじめとする連合国と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な敗北を喫したことだけでは決してありません。すなわち、「天皇制国家」日本は、第二次世界大戦以前に、朝鮮侵略の第一歩となった江華島事件、朝鮮王宮への侵犯、甲午農民戦争での日本軍による農民虐殺、朝鮮支配めぐる戦争である日清戦争、台湾植民地支配、朝鮮支配めぐる戦争である日露戦争、朝鮮植民地支配、中国侵略の始まりである満州事変、日中戦争日中戦争での日本軍による南京大虐殺……と、数々の過ちを重ねてきました。そして、その延長線上に戦犯天皇ヒロヒトの孫である天皇ナルヒトが言う*8「さきの大戦」すなわち「多くの犠牲を出し、無残な敗北を喫した、アメリカをはじめとする連合国との無謀な戦争」という過ちがあるのです。これを考えると、日本が本当に二度と繰り返してはならない過ちは、「無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無残な敗北を喫したこと」ではなく、「天皇制国家」日本による侵略戦争と植民地支配なのです。そして、その過ちを再び繰り返さないためには、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配を真摯に反省し、「天皇制国家」日本のアジア侵略と植民地支配の根底にある日本帝国主義を克服するべく日本の人民が自らの手で天皇制を廃止することが必要不可欠なのです。

アジア・太平洋戦争が日本の侵略戦争であったことに鑑みれば、8月15日を「終戦の日」と呼ぶ(もっとも、8月15日を「終戦の日」と呼ぶのは、本当は正しくありません。なぜなら、本当に戦争が終わったのは、沖縄戦終結した9月7日だからです。つまり、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことは、「天皇の軍隊」の沖縄に対する加害をも忘却させるのです。)ことは全くの欺瞞です。それゆえ、左翼あるいはリベラル派の中には、8月15日を「敗戦記念日」と呼ぶ人もいます。しかし、左翼である私は、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことだけでなく、「敗戦記念日」と呼ぶことにも違和感と躊躇を覚えます。なぜなら、先にも述べたように今も続く「天皇制国家」日本が日帝のアジア侵略と植民地支配について真摯に反省しているとは到底言い難い(私は、多くのリベラル派が高く評価する「河野・村山談話」も、真摯な反省としては不十分であると考えています*9。)ことに鑑みると、戦後の日本にとって「敗戦」とは、主観的にはあくまでもアメリカに対する敗戦であって、それは強国アメリカと無謀な戦争をしたことを反省する契機となりこそすれ、アジアに対する侵略と植民地支配を反省する契機とはなっていないからです。また、左翼あるいはリベラル派の中には、8月15日を「日本人が日本帝国主義から解放された日でもある」と言う人がいます。しかし、いまだ日本の人民は日本帝国主義を克服するべく自らの手で天皇制を廃止して真の民主化を果たすことができずにいることを考えると、日本の左翼あるいはリベラル派が8月15日を「日本の人民が日本帝国主義から解放された日でもある」と言うのは、やはり欺瞞であり、そして傲慢であると言わざるを得ないでしょう。