葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

戦後日本の「反省」を問い直す

真珠湾攻撃、8日で80年 太平洋戦争開戦、日本側310万人犠牲 | 毎日新聞

 

日本政府は、戦後の日本が「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してき」たと言います*1。おそらく、国民の多くも、そのように認識していることでしょう。しかし、果たして戦後の日本は、本当にするべき反省をしたといえるでしょうか。

日本政府が痛切に反省したのは「先の大戦における行い」であり、すなわちそれは第二次世界大戦アメリカやイギリスなどと戦争したことです。たしかに、それについて反省することも必要です。しかし、日本帝国主義が犯した「罪」は、決して第二次世界大戦アメリカやイギリスなどと戦争したこと(いわゆる「アジア・太平洋戦争」)だけではありません。すなわち、日本帝国主義は、第二次世界大戦以前に、朝鮮侵略の第一歩となった江華島事件、朝鮮王宮への侵犯、甲午農民戦争での日本軍による農民虐殺、朝鮮支配めぐる戦争である日清戦争、台湾植民地支配、朝鮮支配めぐる戦争である日露戦争、朝鮮植民地支配、中国侵略の始まりである満州事変、日中戦争日中戦争での日本軍による南京大虐殺……と、数々の「罪」を重ねてきました。そして、その延長線上に「アジア・太平洋戦争」という「罪」があるのです。これを考えると、戦後の日本が本当にすべきなのは、日帝のアジア侵略や植民地支配と、その根底にある日本帝国主義について反省することであり、第二次世界大戦アメリカやイギリスなどと戦争したことを反省するだけでは全くもって不十分なのです。

アジア・太平洋戦争」は、しばしば「勝てるはずのない無謀な戦争」と評価されます。そして、「アジア・太平洋戦争」をそのように評価する人にとっては、「日本が強国アメリカと勝てるはずのない無謀な戦争をしたこと」が、戦後日本の反省すべきことなのでしょう。しかし、日本国憲法の基本原理である平和主義に鑑みれば、「勝てるはずのない無謀な戦争」でなければしてもよいということは決してありません。つまり、「アジア・太平洋戦争」が「勝てるはずのない無謀な戦争」であったかどうかは、戦後の日本が本当にするべき反省にとって本質的な問題はないのです。

戦後の日本は、憲法9条があるにもかかわらず、朝鮮戦争ベトナム戦争といった「アメリカの戦争」に加担し、憲法9条のおかげで自らの手を血で汚すことなく暴利をむさぼってきました。また、日本政府は、日帝のアジア侵略や植民地支配を美化あるいは正当化することに腐心しています。戦後の日本は過去のあやまちを反省したはずなのに、なぜそうなのか。それは、つまるところ戦後日本の「反省」が、「日本が強国アメリカと勝てるはずのない無謀な戦争をしたこと」を反省したものに過ぎず、戦後の日本が本当にするべき反省である、日帝のアジア侵略や植民地支配と、その根底にある日本帝国主義についての反省をしていないからです。

もしかすると、リベラル派や護憲派の中には、戦後の日本が本当にするべき反省をしていないことを「ネトウヨ」や「アベ政治」の問題だと思っている人もいるかもしれません。しかし、戦後の日本が憲法9条を蔑ろにしてアメリカの戦争に加担し暴利をむさぼってきたことから目を背けて「憲法9条のおかげで戦後の日本は戦争をしてこなかった」と平気で言うリベラル派や護憲派の人が少なからずいることに鑑みれば、決して「ネトウヨ」や「アベ政治」だけの問題ではありません。日本国憲法の基本原理である平和主義の真の実現を希求するリベラル派や護憲派こそ、「平和国家の国民である」という慢心を捨てて、戦後日本の「反省」を問い直すべきです。