葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「新しい戦前」についての私見

タモリ「来年は新しい戦前になる」発言、経済学者の金子勝氏が賛同「お笑い界の人はすごい」 - 芸能 : 日刊スポーツ

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昨年(2022年)末に、タモリ氏が「来年(2023年)は新しい戦前になる」と発言したことが話題を呼んでいます。

タモリ氏やタモリ氏の発言に共感するリベラル派は、これまでは「新しい戦前」ではなかったという認識なのでしょう。しかし、はたして本当にこれまでは「新しい戦前」ではなかったのでしょうか。

「戦後」の日本は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく憲法9条があるにもかかわらず、1950年に再軍備の第一歩を踏み出し*1憲法9条のおかげで自らの手を血で汚すことなく朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)、イラク戦争(2003~11年)といった「米国の戦争」に加担して暴利をむさぼってきました。そして、いまや世界有数の軍事大国となった日本は、戦争法*2が制定されたことによって、憲法9条があるにもかかわらず「集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に参加できるようになり、米国主導の世界経済体制を守るための対中国戦争に向けた準備を盟主である米国と共に着々と進めています*3

こうしてみると、「新しい戦前」は、遅くとも日本が再軍備の第一歩を踏み出した1950年には始まっていたのです。それにもかかわらず、日本人の多くがこれまでは「新しい戦前」ではなかったという認識なのは、琉球弧と朝鮮半島の犠牲の上に成り立つ「戦後の平和な日本」という幻想の中で生きてきたからです。つまり、日本人の多くが、タモリ氏の発言のとおり2023年が「新しい戦前にな」ったと感じたとしても、それは「戦前」が新たに到来したことによるものではなく、「戦後の平和な日本」という幻想が崩れ去ることで、遅くとも1950年には始まっていた「新しい戦前」が剥き出しになったことによるものなのです。

もちろん、私は「戦後平和主義」の全てを否定するつもりはありません。しかし、日本人の多くが、「戦後の平和な日本」という幻想にしがみつき、「戦後」の日本が憲法9条をないがしろにして「米国の戦争」への加担と軍事力の強化を繰り返してきた現実から目を背け続けるのであれば、「新しい戦前」はやがて「新しい戦中」になるでしょう。それを阻止するためには、何よりもまず「戦後の平和な日本」という幻想を捨て、「戦後」の日本が憲法9条をないがしろにして「米国の戦争」への加担と軍事力の強化を繰り返してきた現実と向き合わなければなりません。