葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

戦後日本の「平和国家」という化けの皮

国会内で開かれた記者会見にオンライン参加した室蘭工業大の清末愛砂(あいさ)教授(憲法学)は「殺傷能力のある武器を輸出することで、日本は世界の人々に恐怖を与える側になる。憲法上決して容認できない」と訴えた。

非政府組織(NGOピースボート共同代表で「平和構想研究会」代表の川崎哲(あきら)氏は「日本が他国から尊敬される平和国家から死の商人国家に転落することになる」と指摘した。

 

「平和国家から死の商人に転落する」 憲法学者ら22人、殺傷武器輸出解禁や「密室協議」に反対する共同声明:東京新聞 TOKYO Web

もちろん、私も殺傷能力のある武器の輸出解禁には反対です。しかし、「日本が他国から尊敬される平和国家から死の商人国家に転落することになる」という指摘には、いささか疑問を感じます。戦後日本は、はたして本当に「他国から尊敬される平和国家」なのでしょうか。

戦後の「平和国家」日本は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず1950年に再軍備の第一歩を踏み出し*1、「平和憲法」があるにもかかわらず朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)、イラク戦争(2003~11年)といった「米国の戦争」に加担して、皮肉にも「平和憲法」のおかげで自らの手を血で汚すことなく暴利をむさぼってきました。そして、「平和憲法」があるにもかかわらず戦後の「平和国家」日本が加担してきた「米国の戦争」では、「平和憲法」があるにもかかわらず日本が生産し、供給した殺傷武器が使われ(ベトナム戦争で使用されたナパーム弾の9割が日本製だと言われています。)、それによって数多くの市民の命が奪われました。つまり、日本の殺傷武器で海外の市民の命が奪われるというのは、決して未来の話ではないのです。

こうしたことを考えると、「日本が他国から尊敬される平和国家から死の商人国家に転落することになる」と言うよりも、むしろ戦後日本の「平和国家」という化けの皮が剥がれて軍国主義の本性が露わになってきたと言ったほうが適切でしょう。

左派やリベラル派の中には、戦後の日本は軍国主義と決別したと信じて疑わない人も少なくないでしょう。しかし、先述したように、戦後の日本が「米国の戦争」に加担して暴利をむさぼってきたこと、そして、いまや世界有数の軍事大国となった*2戦後の「平和国家」日本が戦争法*3が制定されたことによって「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に同盟国として参加できるようになった*4ことに鑑みれば、残念ながら戦後の日本が軍国主義と決別したとは到底いえません。政府が殺傷能力のある武器の輸出解禁へ動くのも*5、日本軍国主義が「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえているからです。

殺傷能力のある武器の輸出解禁への動きの根底にあるのが「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえている日本軍国主義であることを考えると、当面の闘いとして殺傷能力のある武器の輸出解禁に反対する私たちが究極的に目指すべきは、「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえている日本軍国主義を打倒することです。そのためには、私たちは何よりもまず「戦後の日本は他国から尊敬される平和国家である」という幻想に縋る(戦後日本のリベラル派にとって「戦後の日本は他国から尊敬される平和国家である」というのは自尊心の拠り所なのかもしれませんが……)のをやめて(言うまでもなく、それは日本国憲法の平和主義の理念を捨てることではありません。)、日本軍国主義が「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえているという現実を正しく認識しなければならないのです。