葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

われわれ人民の人権が守られているのは「国家や為政者のおかげ」ではない。

日本国憲法
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

私たちの人権が守られているのは国家や為政者のおかげである、そう思っている人は少なからずいるようです。しかし、われわれ人民の人権が守られているのが「国家や為政者のおかげ」だというのは大きな誤解です。

人権は、国家や為政者から恩恵として与えられるものでは決してなく、人間がただ人間であるということに基づいて当然に有する権利です(人権の固有性)。すなわち、人権は、国家や為政者の存在とは関係なく、人間であることにより当然に有するものです。したがって、「国家があってこそ人権がある」というのは間違いです。

歴史的にみて、人権にとっての最大の脅威は国家権力です。そこで、憲法によって国家権力を縛ることで国家権力から人権を守らんとするのが、近代立憲主義です。つまり、われわれ人民の人権が守られているのは、国家や為政者のおかげではなく、憲法による人権保障のおかげなのです。

もしわれわれ人民の人権が守られているのが「国家や為政者のおかげ」だとすれば、われわれ人民の人権が守られるかどうかは国家や為政者次第ということになってしまいます。しかし、国家や為政者が人権をないがしろにするような悪しきものであればこそ、なおのことわれわれ人民の人権は、そのような悪しき国家や為政者による人権侵害から守られなければなりません。人権保障は、「『国民』の多数が人権を守らないような悪しき為政者を選んだのだから、人権が守られなくてもしかたがない」で済む話ではないのです。

われわれ人民の人権が守られているのは「国家や為政者のおかげ」ではありませんから、われわれ人民は、われわれ人民の人権が守られていることについて為政者に感謝する必要は全くありません。これからもわれわれ人民が守られるためにわれわれ人民が主権者としてすべきことは、為政者に憲法を遵守させること、「壊憲」*1をもくろむ為政者から憲法を護ること、そして、憲法を遵守しない為政者を政権から引きずりおろすことです。