葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

私は、自民党政権とその補完勢力による「壊憲」を断じて許さない。

(朝日・東大谷口研究室共同調査)改憲賛成派、大幅増61% 「自衛隊の保持明記」に66% 参院選:朝日新聞デジタル

 

私は、自民党政権とその補完勢力が進めようとしている「憲法改正」に断固として反対します。それは、私が単に「反自民」だからではありません。もし「立憲野党」が同じような改憲案を提示したとしたら、私は同じように断固として反対します。

私が自民党政権とその補完勢力が進めようとしている「改憲」に断固として反対するのは、それが「憲法改正」ではなく「壊憲」すなわち立憲主義の破壊だからです。近代立憲主義憲法は、個人の自由・権利を確保するために国家権力を制限することを目的とするものです。ところが、自民党改憲草案*1は、個人の自由・権利を確保するために国家権力を制限するのではなく、国家の利益を確保するために「公益及び公の秩序」の名の下に個人の自由・権利を制限します。

自民党改憲草案

第十二条
    この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

十三条
    全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に
尊重されなければならない。

第二十一条
    集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行      い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

つまり、自民党改憲草案は、「個人の自由・権利を確保するために国家権力を制限する」という近代立憲主義憲法の本質に反するものであり、それゆえ自民党政権が進めようとしている「改憲」は「壊憲」にほかならないのです。

もちろん、現行憲法においても、人権は絶対無制限ではなく、「公共の福祉」によって制約を受けます。

日本国憲法

第十二条 

    この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

十三条 

    すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

ただし、「公共の福祉」とは「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」ですから、これによって許されるのは人権相互の矛盾・衝突を調整するための必要最小限度の制限だけです。一方、自民党改憲草案では、人権は「公益及び公の秩序」によって制約を受けますが、「公益及び公の秩序」は国家の利益を確保するために個人の自由・権利を制限するためのものですから、国家の利益を確保する必要があればいくらでも「公益及び公の秩序」の名の下に人権を制限することができます。つまり、自民党政権による改憲を許せば、国の都合でいくらでも人権を制限することができるようになり、憲法による人権保障は「絵に描いた餅」になってしまうのです*2

自民党改憲草案では削除されていますが、憲法97条に述べられているとおり、人権は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」です。しかし、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」も、人権を軽視し立憲主義を破壊する自民党政権による改憲を許せば、いとも容易く失われてしまいます。そして、人権が、長い歴史の中で人類が多くの苦難を乗り越えて獲得し、多くの試練に耐えて守られてきたものであることを考えると、「壊憲」によって失われたものを再び取り戻すことは、決して容易ではないでしょう。「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」を失いたくない私は、自民党政権とその補完勢力による「壊憲」を断じて許しません。

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