葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

なぜ日本は米国の原爆投下責任を不問に付してきたのか。

原爆を投下した米国の責任を問い続け、核兵器の廃絶につなげていく――。これが被爆者の揺るがぬ姿勢だ。その訴えをしっかりと受け止め、核廃絶への道筋をともに探ることは、被爆地の自治体の責務である。責任論を棚上げするのではなく、逆に議論を深めていくべきではないか。

 

(社説)原爆投下責任 棚上げせず議論深めよ:朝日新聞デジタル 

なぜ日本は米国の原爆投下責任を不問に付してきたのでしょうか。思うに、それは戦後の日米関係が天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任を不問に付すことで成り立つものだからです。

第二次世界大戦で日本に勝利した米国は、天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任を不問に付す代わりに、戦後の米国の世界戦略の一環として日本を米国主導の東アジア国際秩序に組み込みました。それによって日本は、戦犯天皇ヒロヒトをはじめとする支配層の悲願であった「国体の護持」(=天皇制の維持)を達成することができました。戦犯天皇ヒロヒトが1975年の訪米後の記者会見で「原爆投下はやむを得なかった」とのたまったのも、日本が米国の原爆投下責任を不問に付すことで己の保身を図ることができたからでしょう。

このように、戦後の日米関係が天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任を不問に付すことで成り立つものであることを考えると、日本が米国の原爆投下責任を問えば、米国に天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任を問い返されるのは必至です。それゆえ、天皇制国家・日本は米国の原爆投下責任を不問に付してきたのです。

日本の人民が米国の原爆投下責任を問うには、何よりもまず天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任を問い、究極的には日本の人民が自らの手で元凶たる天皇制を廃止することが必要です。日本を代表する「リベラル」紙である朝日新聞の社説は、「歴史に誠実に向き合い、かつて犯したそれぞれの過ちを互いに問い、自問し続けてこそ、真の未来志向と言えるのではないか」と述べていますが、米国の原爆投下責任を問う前提として日本が自問すべき「過ち」は米国に対して犯した真珠湾攻撃だけでは決してありません。朝日新聞の社説は米国の原爆投下責任を問う前提である天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任について明確に触れていませんが、天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任を不問に付したまま米国の原爆投下責任についての議論を深めていくことができると思ったら大間違いです。朝日新聞の社説は「責任論を棚上げするのではなく、逆に議論を深めていくべき」だと述べていますが、天皇制国家・日本のアジア侵略戦争あるいは植民地支配の責任についての議論を棚上げにしたまま米国の原爆投下責任について議論しても、議論を深めることは決してできないでしょう。