葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

朝鮮半島の平和と人権の犠牲の上に成り立つ「戦後『平和国家』ニッポン」というフィクション

朝鮮戦争の終戦宣言に難色 岸田政権、韓国の提案に | 共同通信

 

朝鮮半島和平の実現を邪魔する日本の自民党政権は、どこまで邪悪なのでしょうか。「平和国家」が聞いて呆れます。

もっとも、これは「戦後『平和国家』ニッポン」というものが、つまるところ朝鮮半島の平和と人権の犠牲の上に成り立つフィクションでしかないということです。すなわち、いわゆる戦後の冷戦体制下で、「米国は、日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワークのもとに位置づけた。韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が『平和』を維持できたのは、[……]韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ」(権赫泰『平和なき「平和主義」』*1)ということです。「戦後平和主義者」の人たちは認めたくないでしょうが、「戦後日本の平和主義」は、日本が二度とアメリカとその同盟国に対して牙を剥かないようにするための「口輪」に過ぎず、決して日本が軍国主義国家から平和国家へ本質的に変わったわけではありません。そのことは、「平和国家」であるはずの戦後日本が、朝鮮戦争をはじめ数々の戦争に加担し、世界第5位(2021年現在*2)の軍事力を誇ることからも明らかです。

このような「戦後『平和国家』ニッポン」の理念と現実の矛盾を覆い隠すために、日本の政府がマスメディアを通じて盛んに煽るのが「『北朝鮮』脅威論」あるいは「『北朝鮮』悪魔視」です。かかる「『北朝鮮』脅威論」あるいは「『北朝鮮』悪魔視」を煽る上で、朝鮮戦争終戦は日本の政府にとって不都合なのです。

まるで宗主国気取りのような日本の態度ですが、この態度の背景には、新植民地主義的な「日韓65年体制」があります。これは、前述の「日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワーク」である米・日・韓三角(軍事)同盟を支える必要から生まれたものです。つまり、朝鮮半島和平の実現は、新植民地主義的な「日韓65年体制」を維持したい日本の自民党政権にとって「日韓65年体制」の前提を崩しかねない望ましからざるものなのです。

前述したように、「日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワーク」である米・日・韓三角(軍事)同盟を支える「日韓65年体制」の下で、韓国は戦闘基地としての役割を担わされました。そして、韓国の当時の親日軍事政権は、その役割を忠実に果たすべく、強権をもって人民の自由を奪い、人権を抑圧しました。また、「日韓65年体制」を維持するため、日本軍性奴隷制(日本軍「慰安婦」)問題や日帝強制動員(徴用工)問題といった日帝植民地支配下における人権侵害の問題に蓋をしてきました。一方、日本は兵站基地の役割を担いつつも、憲法9条のおかげで自らの手を血で汚すことなく(戦争で甘い汁を吸って肥え太り)、国民たちは暗い「負の歴史」のことなど忘れて「戦後ニッポンの平和」を謳歌してきました。このような朝鮮半島の平和と人権の犠牲の上に成り立つ「戦後日本の平和主義」が、果たして本当に憲法の平和主義の理念に沿うものなのでしょうか。

もしかすると「戦後平和主義者」の中には、「平和国家である日本が、よその国の戦争に巻き込まれるのはごめんだ」という理由で朝鮮半島和平の実現を願う人もいるかもしれません。しかし、朝鮮戦争は、日本にとって単なる「よその国の戦争」ではありません。なぜなら、朝鮮半島の分断に日帝の植民地支配が無関係ではなく、また、朝鮮戦争で甘い汁を吸って肥え太ったのが戦後の日本だからです。また、日本は朝鮮国連軍への基地の提供*3という形で、今もなお朝鮮戦争に加担しています。これらのことに鑑みれば、朝鮮半島和平の実現は、日本にとって決して「よその国の問題」ではなく、朝鮮半島和平の実現に尽力することは、植民地支配の清算の一環として取り組むべき日本の責務であるといえます。そして、それは日本が、継続する植民地主義を克服し、憲法の平和主義の理念に沿った平和国家となるためにも必要なことです。