葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

群馬の森朝鮮人労働者追悼碑の強制撤去に断固として抗議する。

群馬・山本一太知事「歴史を修正する意図はない」 朝鮮人追悼碑撤去 [群馬県]:朝日新聞デジタル

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群馬県山本一太知事は1日の定例会見で、朝鮮人追悼碑を代執行で「群馬の森」(高崎市)から撤去したことについて、「碑自体や、碑の精神を否定するものではない。過去の歴史を修正しようとかいう意図はない」と述べたうえで、「すべて私の責任。県民のみなさんは必ず理解してくれる」と強調した。

 

群馬・山本一太知事「歴史を修正する意図はない」 朝鮮人追悼碑撤去 [群馬県]:朝日新聞デジタル

今般の群馬県による群馬の森朝鮮人労働者追悼碑の強制撤去は、「官製ヘイト」*1と言っても過言ではない暴挙であり、断じて許容できるものではありません。

「過去の歴史を修正しようとかいう意図はない」とお決まりの言い訳をする群馬県山本一太知事ですが、山本知事の意図がどうであったかは問題ではありません。つまり、群馬県日帝強制動員の史実を否定する極右主義者たちの声に迎合して*2朝鮮人労働者の追悼碑を強制撤去し、日本社会とそのマジョリティである日本人が再び同じ過ちを繰り返さないよう日帝の植民地体制下における強制動員という人権侵害の歴史に真摯に向き合うという碑の精神を否定すること、そして日帝の植民地体制下における強制動員という人権侵害の歴史を記憶するための場を暴力的に破壊した*3ことで日帝強制動員の史実を否定する極右主義者を勢いづかせたり*4在日コリアンに対する差別や憎悪をさらに助長させたりしてしまったことが問題なのです。

群馬の森朝鮮人労働者追悼碑の強制撤去は、日帝の植民地体制下における強制動員によって踏みにじられた日帝強制動員被害者の尊厳を追悼碑の強制撤去と破壊という形で二重に踏みにじる所業です。日帝は、いったいどれだけ日帝強制動員被害者の尊厳を踏みにじれば気が済むのでしょうか。「今の日本はかつての日帝とは違う」というごまかしはもはや通用しません。いつまでも日帝の植民地体制下における強制動員や日本軍性奴隷制といった人権侵害の歴史と向き合わず、被害者の尊厳を踏みにじり続ける今の日本は、まさに日帝そのものです。

群馬の森朝鮮人労働者追悼碑の強制撤去によって勢いづいた極右主義者は「日本国内にある慰安婦朝鮮半島出身労働者に関する碑や像もこれ(群馬の森朝鮮人労働者追悼碑の強制撤去)に続いてほしい」と戯言をぬかしていますが、こういう輩がいるからこそ、日帝の植民地体制下における強制動員や日本軍性奴隷制といった人権侵害の歴史を記憶するための場が日本に必要なのです。私は、今般の群馬県による群馬の森朝鮮人労働者追悼碑の強制撤去に断固として抗議します。

*1:「朝鮮人追悼碑を守れ」群馬県の撤去命令に市民ら抗議 レイシスト妨害も 時代の正体 差別禁止法を求めて | カナロコ by 神奈川新聞

*2:“撤去の論議が始まったのは、第2次安倍内閣が発足した2012年からだ。「新しい日本を考える群馬の会」などの右翼団体が、2004年の除幕式から毎年行われてきた追悼式の新聞記事を調べ、発言者の表現一つひとつを問題視した。例えば「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を記憶することが重要だ」などの発言が攻撃の的になった。右翼は「強制連行」は日本政府が認めていない内容だとし、追悼碑を作る際の「政治的行事を行わない」という約束を破ったと主張。そのため市民の会(「守る会」)は2013年から追悼式もできずにいる。2014年4月、「追悼碑10年許可」を延長しなければならない時期が近づくと、右翼はより露骨に動いた。

東京都横網町公園にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」などの撤去を主張し続けてきた日本の右翼団体「そよ風」が提出した群馬県への追悼碑撤去請願を、2014年6月、自民党議員が多数だった県議会が採択する。待っていたかのように県は7月、追悼碑設置期間の延長不許可を決めた。”

[ルポ]撤去危機の群馬「朝鮮人追悼碑」…「韓日友好20年の象徴、なぜなくすのか」 : 日本•国際 : hankyoreh japan

*3:朝鮮人追悼碑、群馬県が撤去し更地に がれきの山も、本社ヘリ確認 [群馬県]:朝日新聞デジタル

*4:朝鮮人追悼碑「日本に不要」 自民杉田氏、歴史修正扇動|47NEWS(よんななニュース)