千葉県船橋市には、かつて旧日本海軍の無線電信所（船橋送信所）がありました*1。無線塔は1971年に解体され、現在は記念碑が残るだけとなっています。その記念碑の碑文には、今から100年前の1923年9月1日に発生した「関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた」と書かれています。しかし、関東大震災時の船橋送信所にまつわる史実は、決してそれだけではありません。この記念碑は、日本人が向き合うべき重要な史実について沈黙しています。
3日朝には内務省警保局長が全国の地方長官宛に〈東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。すでに東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に各地に於て充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし〉と通達した。
船橋送信所跡から3.8kmほど離れた船橋市営馬込霊園に、関東大震災時の朝鮮人虐殺の被害者を慰霊・追悼する「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」（本稿冒頭の写真）があります。この慰霊碑は、1947年の「三一節」*2に在日本朝鮮人聯盟によって建立されたものです。慰霊碑のある船橋では、民族差別に基づくデマに煽動された自警団によって、北総鉄道（現在の東武野田線）の建設工事に従事していた朝鮮人労働者とその家族が虐殺されました*3。そして、虐殺の引き金となったデマの発信地となったのが、前出の船橋送信所でした。というのは、当時の送信所長が「朝鮮人が襲撃してくる」とデマを流し、自警団に「朝鮮人は殺してもいい」と伝え武器を渡して警戒にあたらせたことが、朝鮮人虐殺のきっかけとなったからです*4。つまり、船橋無線塔記念碑が「関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた」と語り伝えている船橋送信所は、関東大震災の時には民族差別に基づくデマを流して多くの朝鮮人を殺したのです。
関東大震災から100年目の節目の年にあたる今年、災害の記憶を承継することの重要性が盛んに言われます。もちろん災害の記憶を承継することも重要ですが、しかし、日本人が承継しなければならないのは、災害の記憶だけでは決してありません。関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺は、日本人が決して忘れてはならない、そして、決して繰り返してはならない「負の歴史」です。日本人が「負の歴史」を繰り返さないためには、何よりまず「負の歴史」と真摯に向き合い、「負の歴史」を記憶し、記憶を承継していくことが必要です。関東各地にある朝鮮人・中国人虐殺の被害者の慰霊碑は、慰霊・追悼の場であるとともに、日本人が関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺という「負の歴史」と真摯に向き合い、「負の歴史」を記憶し、記憶を承継していくための「記憶の場」でもあるのです。
昨今、巷では関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺の史実を否定する言説が横行し*5、政府首脳や東京都知事も史実に反する否定論を容認するかのごとき態度をとっています*6。また、インターネット上では、大規模災害のたびに民族差別を煽る「ヘイトデマ」が流されます*7。そして、民族差別や排外主義が根深くはびこる日本社会では、ヘイトスピーチ解消法が施行されてもヘイトスピーチやヘイトデモが後を絶たず、ついにヘイトクライムまでが引き起こされるに至りました*8。つまり、大規模災害時のジェノサイド（民族大量虐殺）は、決して遠い昔や海外の話ではなく、日本社会の「今ここにある危機」なのです。
*1:地図上で目を引く円形（行田地区）｜魅力発信サイト FUNABASHI Style
*2:日本人が三・一独立運動を記憶しなければならない理由 - 車家ブログ Kurumaya Blog
*3:記憶を刻む: 船橋警察署巡査部長の手記／船橋駅前での虐殺
*4:「朝鮮・中国人虐殺主導を認めよ」 関東大震災から100年、学者ら政府に賠償求める 「日本は責任逃れてきた」：東京新聞 TOKYO Web
100年経つも、遺骨未だ見つからず／千葉でフィールドワーク | 朝鮮新報
*5:関東大震災の「朝鮮人虐殺はなかった」という人びと 「歴史修正主義」本を検証してみた（加藤直樹） | アジアプレス・ネットワーク
関東大震災「虐殺」否定論が横行 朝鮮人１７人犠牲 「藤岡事件」慰霊祭 史実を伝え「戒め」に ／群馬 | 毎日新聞
*6:朝鮮人虐殺でコメントせず 松野官房長官「政府記録なし」：東京新聞 TOKYO Web
（社説）虐殺から１００年 都知事は目を背けるな：朝日新聞デジタル
*7:地震発生後、日本で「朝鮮人が福島の井戸に毒を入れた」というデマまで : 日本•国際 : hankyoreh japan
大阪地震で起きたヘイトデマに注意――ヘイトクライム、ジェノサイドを防ぐために | ハフポスト NEWS
*8:「私の犯罪はヘイトクライム」 ウトロ放火、裁判記録から見えたもの | 毎日新聞
