葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

かけがえのない「平和憲法」を未だ克服されない日本軍国主義の「隠れ蓑」にしてはならない。

「平和国家」はどこへ | 毎日新聞

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たしかに、「戦後」の日本はかけがえのない「平和憲法」を持つ国です。しかし、はたして「戦後」の日本は、本当に「平和国家」だといえるでしょうか。

「戦後」の日本は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」を持つ国であるにもかかわらず、1950年に再軍備の第一歩を踏み出し*1、「平和憲法」のおかげで自らの手を血で汚すことなく朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)、イラク戦争(2003~11年)といった「米国の戦争」に加担して暴利をむさぼってきました。そして、いまや世界有数の軍事大国となった*2日本は、戦争法*3が制定されたことによって、「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に参加できるようになり*4、米国主導の世界経済体制を守るための対中国戦争に向けた準備を盟主である米国と共に着々と進めています*5。つまり、たしかに「戦後」の日本は「『平和憲法』を持つ国」ではありますが、しかし軍国主義という本質は何ら変わっていないのです。

それでも、国民の多くは「日本は世界に誇れる平和憲法を持つ国である」と信じて疑いません。それをいいことに、政府は「防衛力の強化」に名を借りて米国の侵略戦争に参加するためのさらなる軍事力の強化を何のためらいもなく進めています*6。つまり、かけがえのない「平和憲法」は、皮肉にも未だ克服されない日本軍国主義を覆い隠す「隠れ蓑」となってしまっているのです。

われわれ「護憲派」は、「日本は世界に誇れる平和憲法を持つ国である」で思考を止めてはなりません。「改憲派」は、よく「現実を見ろ」と言います。よろしい、ならば私たちは、日本が「世界に誇れる平和憲法を持つ国である」にもかかわらず、これまで「米国の戦争」に加担して暴利をむさぼってきたという現実、そしていま「防衛力の強化」に名を借りて米国の侵略戦争に参加するためのさらなる軍事力の強化を進めているという現実と真摯に向き合いましょう。そうして私たちが、かかる現実と真摯に向き合ったときにわかるのは、日本が本当に変えるべきは「平和憲法」ではなく、未だ軍国主義を克服していない「軍国主義国家」である日本それ自体だということです。