葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「維新」の躍進と「立憲野党」の存在意義

統一地方選挙 目立つ「維新」の躍進 | TBS NEWS DIG

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維新の会が支持される理由を「立憲野党」*1が知ることは、たしかに大事です。しかし、それは決して「立憲野党」が選挙に勝つために維新の会と同じことをするためではありません。維新の会が支持されるからといって、「立憲野党」が選挙に勝つために維新の会と同じことをするのであれば、「立憲野党」の存在意義は失われてしまうでしょう。それとも、「令和ファシズム」の進行によって、もはや「立憲野党」の存在意義は失われてしまったのでしょうか。

「哲学者たちは、世界をいろいろに解釈しただけである。肝要なのは、それを変えることである。」

 

「維新」の躍進の背景の分析は専門家に任せるとして、「立憲野党」が選挙に勝つためには、維新の会が支持される理由を「立憲野党」が知ることに加えて「立憲野党」自身が変わることも、もちろん大事です。しかし、それは「立憲野党」が維新の会のようになるためではありませんし、また、ただ「立憲野党」自身が変わるだけでは不十分です。つまり、「維新政治」を支える根底にあるものを知り、それを変えるために、「立憲野党」自身が変わることが大事なのです。

ところで、マスメディアの多くが、あたかも維新の会が自民・公明党の対立勢力であるかのように維新の会と自民・公明党の関係を描いています*2。しかし、決して忘れてならないのは、維新の会が、自民・公明党の対立勢力ではなく、自民・公明党が目論む「改憲」ならぬ「壊憲」の補完勢力だということです。つまり、維新の会が勝って自民・公明党が負けても、日本における立憲主義の危機的状況は何ら変わらず、「壊憲」勢力は立憲主義の破壊に突き進むということです。もっとも、維新の会を支持する人たちは、日本社会を覆う「閉塞感」が「維新政治」によって打破されるのであれば、「立憲主義」とその究極の目的である「人権保障」といった理念などどうでもいいと思っているのかもしれません。しかし、戦後の日本社会のマジョリティにとってまるで空気のようにあたりまえな「立憲主義」とその究極の目的である「人権保障」を失ってからその大切さに気づいても、それではもはや手遅れなのです。