葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本とその国民が朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼ぶべきではない理由

日本では、朝鮮民主主義人民共和国の呼称として「北朝鮮」が定着しています。

しかし、日本とその国民は、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼ぶべきではありません。なぜなら、「北朝鮮」という呼称は、日本が朝鮮民主主義人民共和国を国家として認めないという趣旨であり、また、「北朝鮮」という呼称が日本で一般的に使われるように経緯に鑑みると、「北朝鮮」という呼称には朝鮮民主主義人民共和国に対する敵意が込められているからです*1

たしかに、日本政府は日韓基本条約大韓民国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府である」としています(第3条参照)。しかし、日帝による朝鮮植民地支配について日本に責任があり、また、それゆえに朝鮮半島の分断についてアメリカや旧ソ連だけでなく日本にも責任の一端があることに鑑みれば、日本とその国民に「朝鮮にある唯一の合法的な政府」を自分たちに都合よく選定する権利など本当はないはずです。もっとも、これに関しては「南北分断の固定化」という難しい問題もありますが、しかし、それは日本とその国民が朝鮮民主主義人民共和国を自分たちに都合よく否定することを正当化する理由にはなりません。

おそらく、右翼だけでなくリベラル派の中にも「『北朝鮮』を国家承認することは、すなわち『北朝鮮』の独裁体制を容認することだ」と言う人がいるでしょう。しかし、「『北朝鮮』の独裁体制」云々は、朝鮮民主主義人民共和国が国家である事実を日本とその国民が認めることとは何ら関係がありません。なぜなら、そもそも日本政府が大韓民国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府である」としているのは、米日韓三角軍事同盟を支える「日韓65年体制」という「陣営の論理」によるものだからです。それに、「『北朝鮮』の独裁体制」云々が朝鮮民主主義人民共和国を国家として認めないことが許される理由になるのであれば、1965年当時軍事独裁体制だった大韓民国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府である」とすることも妥当ではなかったことになるはずです。

私は決して、日本とその国民は朝鮮民主主義人民共和国の政治体制を批判してはならないと言うつもりはありません。しかし、批判というものは、相手を対等な存在として認めた上に初めて成り立つものです。つまり、日本とその国民が朝鮮民主主義人民共和国の政治体制を正しく批判したいのであれば、朝鮮民主主義人民共和国が国家である事実を認め、朝鮮民主主義人民共和国に対する蔑視をやめる必要があるのです。朝鮮民主主義人民共和国を自分たちに都合よく否定し、朝鮮民主主義人民共和国に対する蔑視をやめない日本とその国民による朝鮮民主主義人民共和国への「批判」は、批判ではなく朝鮮の「悪魔化」に過ぎません。