葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

プロレタリアのルサンチマンを利用してプロレタリアートの分断を煽る姑息で悪辣なやり口

日本の若者ら「石炭火力早期廃止」訴え COP26合わせ|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

 

日本政府に石炭火力の早期廃止を訴える若者の「これ以上の豊かさはいらない」という発言に関して、インターネット上ではこの若者の発言を冷笑するツイートが多くの共感を集めています。

おそらく、このツイートに共感する人は、経済成長を追求すれば「経済的理由で進学をあきらめて今日も働いてる若者たち」も経済的に豊かになれると考えているのでしょう。しかし、単に経済成長を追求しただけでは、「経済的理由で進学をあきらめて今日も働いてる若者たち」が経済的に豊かになることは決してありません。なぜなら、「経済的理由で進学をあきらめて今日も働いてる若者たち」が経済的に豊かになれないのは、経済成長の追求が不十分だからではなく、強欲なブルジョアどもが彼らを搾取するからです。そして、それを可能ならしめる資本主義システムという暴力構造が存在するからです(そもそも、「経済的理由で進学をあきらめて今日も働いてる若者たち」が「経済的理由で進学をあきらめ」なければならないのも、資本主義システムという暴力構造のせいであることを看過してはなりません。)。つまり、「経済的理由で進学をあきらめて今日も働いてる若者たち」が経済的に豊かになるためには、強欲なブルジョアどもが彼らを搾取することができないように資本主義システムという暴力構造を変革しなければなりません。そのための努力をせずに、「これ以上の豊かさはいらない」という若者の発言を腐したところで、「経済的理由で進学をあきらめて今日も働いてる若者たち」が経済的に豊かになることは決してありませんし、経済成長を追及したところで、「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」だけです。

ブルジョワジーブルジョワジーのおこぼれに与るプチブルが、われわれプロレタリアートの搾取を可能ならしめる資本主義システムという暴力構造を温存するために、プロレタリアのルサンチマンを利用してプロレタリアートの分断を煽るやり口は、使い古されたものではありますが、実に姑息で悪辣なやり口です。われわれプロレタリアートは、われわれを経済的に困窮させている「真の敵」を決して見誤ってはなりません。