葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「反日」で何が悪い!?

安倍前首相「反日的な人が五輪開催に強く反対」 月刊誌の対談に | 毎日新聞

 

いったい「反日」の何が悪いのでしょうか?

反日」とは「日本」に反抗することですが、そもそも「日本」に反抗することは、そんなに悪いことなのでしょうか。「日本」に反抗するのは悪いことだなんて、「日本」はいったい何様のつもりなのでしょう。「反日」というのは、実に日本の傲慢さを体現した言葉です。

リベラル派の中には、安倍氏の発言について「安倍こそ『反日』だ」と言う人も少なからず見受けられます。そのような人たちは、安倍氏と同じく「反日」を悪いことだと思っているからこそ「安倍こそ『反日』だ」と言うのでしょう。「反日的な人が五輪開催に強く反対している」と言う安倍氏も、「安倍こそ『反日』だ」と言うリベラル派の人たちも、どうしてそんなに「反日」を悪いことだと思うのでしょうか。すなわち、どうしてそんなに「日本」に従順であることを善しとするのでしょうか。きっと、彼らにとって「日本」は、大切な「拠り所」なのでしょう。しかし、そもそも彼らが「拠り所」とする「日本」とは、いったい何なのでしょうか。

リベラル派は、よく「『反日』ではなく『反日帝』だ」と言います。たしかに、リベラル派が反対する「アベ・スガ政権」は、「日帝」的な、あまりも「日帝」的な政権です。しかし、はたして今の「日本」は、「日帝」と切り離して語ることができるほど「日帝」を克服したといえるでしょうか。思うに、残念ながら「日本」は今も「日帝」のままであると言わざるを得ませんが*1、「『反日』ではなく『反日帝』だ」と言うリベラル派の人たちは、どうもその現実から目を逸らそうとしているように思えてなりません。もしかすると、「『反日』ではなく『反日帝』だ」と言うリベラル派の人たちは、この世のどこかに「アベ・スガ政権」に汚された今の「日本」とは違う「本当の日本」があると思っているのかもしれません。しかし、それは幻想です。

こんなことを言う私は、安倍氏はもちろん、「安倍こそ『反日』だ」と言うようなリベラル派の人たちから見ても、きっと「反日的な人」なのでしょう。もちろん、私は自分が「反日」であることを否定しません。自由な人間でありたい私は、「日本」に従順であるのが「善い」ことだとはこれっぽっちも思いませんので。えっ?「反日サヨクは日本から出て行け」ですって?いいえ、私は出て行きません。むしろ、私に「天皇を戴く国の、善良な国民」であることを強いる「日本」こそ、私から出て行きなさい。