あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

「国家からの自由」を求めながら「国家による自由」を求めることは、何ら矛盾するものではない。

今般の新型コロナウイルス禍において、生活保障を訴えるリベラル派を「政府を敵視するリベラル派が政府に頼ろうとするのは矛盾した態度だ」と冷笑する声がしばしば聞かれます。

ネオリベラリズム的な発想からすると、国家権力からの自由を主張するリベラル派が生活保障を訴えることは矛盾なのかもしれません。しかし、人権理論からすれば、それは誤解です。すなわち、「国家からの自由(自由権)」を求めながら「国家による自由(社会権)」を求めることは、何ら矛盾するものではありません。なぜなら、「国家からの自由」を求めることも「国家による自由」を求めることも、どちらも人権の実現を求めるものだからです。

ただし、ここで誤解していただきたくないのは、感染症の拡大を防止するための強権的措置を講ずることは「国家による自由」ではないということです。感染症の拡大を防止するための強権的措置を講ずることは、たとえそれによってある人権が実現されるとしても、強権的措置そのものは自由の制限であって「国家による自由」ではありません。つまり、われわれ人民の側から国家による強権的措置を求めることは、「国家からの自由」を進んで放棄するものだということです。

「人権に配慮しすぎて、政府は有効な対策を講じることができずにいる」などというのは、全くの詭弁です。むしろ政府は人権、そして民主主義を軽視しているからこそ、お粗末な対応に終始してしまっているのです。

現代立憲主義のもとでは、国家には人民の生存権を実現する責務があります。しかるに、もし日本国が人民の生存権を実現する責務を果たさないとすれば、日本国は現代立憲主義国家であるとはおよそ言えないでしょう。