葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「アベ政治」がのさばり続けるのは「国民がバカだから」で済む話ではない。

リベラル派の中には、「安倍のようなバカが首相のままでいられるのは、国民がバカだからだ」と言う人が少なからずいます。たしかに、安倍氏が首相のままでいられるのは、国民の多数が政権与党である自民党を支持し続けていることもその一因かもしれません。しかし、果たして本当に、「アベ政治」がのさばり続けるのは「国民がバカだから」で済む話なのでしょうか。

私は「愚民観」には与しませんが、仮にもし民衆が愚かだとして、そんな「愚かな民衆」を作り上げたのは、いったい誰(何)でしょうか。まさか、民衆が愚かなのは一人ひとりの「自己責任」だとでも言うのでしょうか。

「安倍のようなバカが首相のままでいられるのは、国民がバカだからだ」と言う人は、「木を見て森を見ず」の過ちを犯しています。「アベ政治」は、あくまでも「構造」の問題です。つまり、いくら民衆を「バカだ」と罵ったところで、「アベ政治」をのさばらせる「構造」を変えなければ、「アベ政治」を止めることなど決してできないのです。

さて、「アベ政治」をのさばらせる「構造」の問題の一つとして、「教育」を挙げる人は少なくないと思います。この点に関して、「国民の教養が足りない」という意見もあるでしょうが、しかし、私は「教養」の問題ではないと思います。なにせ、「教養」豊かな安倍政権支持者も少なからずいるわけですから……(もっとも、「教養」の定義にもよるでしょうが、ただ、「教養」の問題とするのは「愚民観」とさほど変わらない気がします。)。

アベ政治」をのさばらせる「構造」の問題は、代議制システムの問題などいろいろあるでしょうが、その中でも大きな要因といえるのが、民主主義に必要な「知」や「情報」を権力者と資本家が独占し、われわれ人民がそれに自由かつ主体的にアクセスするのを妨げていることだと、私は思います。「教育」や「マスメディア」の問題は、まさにこの〈民主主義に必要な「知」や「情報」への、人民の自由かつ主体的なアクセス〉の各論的な問題です。

民主主義に必要な「知」や「情報」を権力者と資本家が独占し、われわれ人民がそれに自由かつ主体的にアクセスするのを妨げていることは、多々ある「アベ政治」をのさばらせる「構造」の問題のうちの一つではありますが、しかし、〈民主主義に必要な「知」や「情報」への、人民の自由かつ主体的なアクセス〉を確保することは、「アベ政治」をのさばらせる「構造」を変える上で極めて重要な問題です。なぜなら、われわれ人民は、民主主義に必要な「知」や「情報」に自由かつ主体的にアクセスできてこそ、「アベ政治」をのさばらせる「構造」を変えるために自律的に行動することができるからです。

「安倍政権から民主主義を取り戻す」ということがリベラル派の間で盛んに言われますが、残念ながら、取り戻すような民主主義はありません。つまり、「アベ政治」を止めることは、あくまでも日本の民主化への第一歩だということです。そして、そのためにわれわれ人民がまず権力者と資本家の手から取り戻すべきものが、民主主義に必要な「知」や「情報」なのです。