葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

中国や朝鮮への「悪魔視」という日本リベラル派の悪癖

日本のリベラル派の中には、自民党政権の強権政治や日本警察による人権侵害を批判する際、二言目には「まるで中国のようだ」あるいは「まるで北朝鮮のようだ」と言う人が少なくありません。

もちろん、私は日本のリベラル派が中国や朝鮮を批判してはならないと言うつもりはありません。しかし、自民党政権の強権政治や日本警察による人権侵害は、あくまでも日本の「内なる悪」であって、中国や朝鮮は関係ありません。それなのに、どうしてリベラル派は、ことさらに中国や朝鮮を引き合いに出すのでしょうか。自民党政権の強権政治や日本警察による人権侵害といった日本の「内なる悪」を批判することは、ことさらに中国や朝鮮を引き合いに出さなくてもできるはずです。

ことさらに日本の「内なる悪」を批判する際に中国や朝鮮を引き合いに出すリベラル派は、もしかすると自民党政権の強権政治や日本警察による人権侵害を「外からやってくる悪」であると思っているのかもしれません。しかし、それは大きな勘違いであり、また、それは一種の排外思想でしょう。先に述べたように、自民党政権の強権政治や日本警察による人権侵害は、あくまでも日本の「内なる悪」であり、それを中国や朝鮮に背負わせるのは、中国や朝鮮への批判ではなく「悪魔視」です。

リベラル派が日本の「内なる悪」を平気で中国や朝鮮に背負わせるのは、つまるところ中国や朝鮮を蔑視しているからです。すなわち、中国や朝鮮への「悪魔視」の根底にあるのは、中国や朝鮮に対する蔑視観だということです。それは、まさにリベラル派が批判する日本帝国主義の原動力の一つなのですが、そのことに気づいているリベラル派は、いったいどれほどいるでしょうか。中国や朝鮮への「悪魔視」という悪癖がやめられないリベラル派は、残念ながら(リベラル派が批判する)「アベ・スガ政権」や「ネトウヨ」と同じ穴の狢であると言わざるを得ません。

私は、日本を変えたいからこそ自民党政権の強権政治や日本警察による人権侵害を批判します。それは、きっとリベラル派も同じだと思います(もっとも、リベラル派の中には、「外からやってきた悪」に穢された「日本」を清める必要はあるが、「日本」そのものを変える必要はない、と思っている人もいるかもしれませんが……)。しかし、リベラル派が、日本の「内なる悪」と真摯に向き合わず、中国や朝鮮を「悪魔視」して日本の「内なる悪」を背負わせているうちは、日本は決して変わらないでしょう。

 

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