葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本共産党の日和見主義と植民地主義

 

日本共産党の志位委員長が旧ソ連や中国の共産党を批判するのは、もちろん結構なことです。

しかし、日本共産党自身は、はたして旧ソ連や中国の共産党を「共産党の名に値しません」と批判できるほど「共産党」の名に値する政党だといえるでしょうか。

思うに、「憲法にある制度として、天皇制と共存するのが道理ある態度だ」*1と、共産主義とはおよそ相容れない天皇制を容認する日和見主義的な態度をとるような政党も、やはり「共産党」の名に値する政党だとはいえません。「憲法にある制度として、天皇制と共存するのが道理ある態度だ」というのであれば、もし自民党改憲が実現してしまったとして、その時は「憲法にある制度として、国防軍や緊急事態条項と共存するのが道理ある態度」なのでしょうか。日本共産党の理屈に従えばそういうことになりますが、日本共産党とその支持者の皆さんは、本当にそれでよいのでしょうか。また、「天皇制というのは……日本共産党の考えだけで、変えられるものではありません。日本の国の主人公である国民の間で、民主主義をそこまで徹底させるのが筋だという考えが熟したときに、はじめて解決できる問題であります」という主張も、一見すると説得力のあるように思えます。しかし、これは詭弁です。なぜなら、日本の民主主義の成熟を妨げているのが他ならぬ天皇制であることを考えれば、時が来れば自然に「日本の国の主人公である国民の間で、民主主義をそこまで徹底させるのが筋だという考えが熟」するということは、天皇制がある限り決して起こらないからです。もちろん、天皇制は日本共産党の考えだけで変えられるものではありません。しかし、そのことは、人民を差別・抑圧する天皇制の廃止に向けて人民を導く前衛党としての責務を怠ることの言い訳にはなりません。日本共産党は大きな勘違いをしていますが、私は天皇制が単に「嫌い」だから天皇制の廃止を主張するのではありません。私が天皇制の廃止を主張するのは、それが人民を差別・抑圧する制度だからです。つまり、天皇制は人民を差別・抑圧する制度であるから、「私たちの好き嫌いいかんにかかわらず」天皇制を廃止しなければならないのです。それに、天皇制によって差別・抑圧されるのは、決して「日本の国の主人公である国民」だけではありません。かつて日本共産党在日朝鮮人党員だった私の亡祖父が貴重な若い時間を捧げたプロレタリア前衛党は、なぜこんなにも右翼日和見主義に堕してしまったのでしょうか。志位氏は、中国共産党覇権主義について「どうしてそうなった?」と問う前に、まずは今の日本共産党の右翼日和見主義について「どうしてそうなった?」と自問してみてはいかがでしょうか。

さて、今の日本共産党の問題点は、日和見主義だけではありません。志位氏は、旧ソ連や中国の共産党共産党の名に値しないのは「遅れた国から始まった制約が大きかった」からだと述べていますが、この「停滞(アジア的停滞論)史観」丸出しの発言は、日和見主義と並ぶ今の日本共産党の問題点を如実に表しています。すなわち、それは植民地主義です。志位氏の「停滞史観」丸出しの発言は、今の日本共産党が、いわゆる「講座派」から「二段階革命論」だけでなく「アジア的停滞性論」*2も引き継いでしまったということなのかもしれません(なお、誤解のないように付言しますが、「停滞史観」批判は、当時のロシアや中国が西欧列強や日帝よりも「進んだ国」だったと主張するものではありません。)。しかし、日本共産党侵略戦争と植民地支配を正当化するあらゆる動きに反対するというのであれば*3侵略戦争と植民地支配を正当化する(「アジア的停滞論」は、侵略戦争と植民地支配を正当化するために、日本を含めた帝国主義の侵略自体がアジアの自立的展開を抑圧しているという条件を都合よく無視するものです。)植民地史観である「停滞史観」は克服されなければならないはずです。しかるに、志位氏ご本人や党員が、志位氏のあの「停滞史観」丸出しの発言に何ら違和感を覚えないのであれば(もし党員の中に「停滞史観」を知らない人がいたとしても、植民地主義に無頓着でなければ「遅れた国」という言葉に何らかの違和感を抱くはずです。)、残念ながら日本共産党侵略戦争と植民地支配を正当化するあらゆる動きに反対するというのも、日本政府の「お詫びと反省」と同じく口先だけと言わざるを得ないでしょう。志位氏は「自由、民主主義、人権…資本主義の下での豊かな成果をすべて引き継ぎます」と述べていますが、植民地主義を引き継ぐのはやめていただきたいものです。

もしかすると、日本共産党を支持するリベラル派の中には、このように日本共産党を批判する私を「反共主義者」だと思う人もいるかもしれません。私は共産主義者を自認する者であり、また、私はこれまで国政選挙でも地方選挙でも日本共産党を支持してきました。しかし、私は、「支持する」ことは決して「無批判に受け入れる」ことではないと思っています。そして、日本共産党が、「国民の党」ではなく、「共産党」の名に値する「人民の党」であってほしいと願うからこそ、私は日本共産党日和見主義と植民地主義を批判するのです。

*1:日本共産党綱領案のキーワード

*2:“ところで、1930年代以降、特に講座派の講壇マルキストたちが、このような停滞的アジア観に「社会経済史」的基礎づけを与え、理論的に動かしがたい真理のような外見を与えて、のちの「大東亜共栄圏」論の布石となるような固定観念を補強する役割を果たしてしまったということは、これまでお話してきたこと以上に重大です。天皇制とトータルに対決したいと望んだ者がどうしてそんなことになってしまったのか。”(梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』)

*3:侵略戦争と植民地支配を正当化するあらゆる動きに反対します/戦後60周年の終戦記念日にあたって/日本共産党幹部会委員長 志位和夫