葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「ネット右翼」や「某論破王」相手にまともな議論は成り立たない。

ジャン=ポール・サルトル先生は1946年に発表した『ユダヤ人問題の考察』で、いわゆる「反ユダヤ主義者」について次のように語っています。

今、わたしは、反ユダヤ主義者達の「言葉」をいくつか並べたが、それは、みんな馬鹿気ている。「わたしは、ユダヤ人が嫌いだ。なぜなら、召使を無規律にするからとか、ユダヤ人の毛皮屋が、盗人同然だから」などなど。だが、反ユダヤ主義者達が、これらの返事の無意味なことに全く気付いていないと思ってはならない。彼等は、自分達の話が、軽率で、あやふやであることはよく承知している。彼等はその話をもてあそんでいるのである。言葉を真面目に使わなければならないのは、言葉を信じている相手の方で、彼等には、もてあそぶ権利があるのである。話をもてあそぶことを楽しんでさえいるのである。なぜなら、滑稽な理窟を並べることによって、話相手の真面目な調子の信用を失墜出来るから。彼等は不誠実であることに、快感をさえ感じているのである。なぜなら、彼等にとって、問題は、正しい議論で相手を承服させることではなく、相手の気勢を挫いたり、とまどいさせたりすることだからである。

 

 

サルトル先生の時代のフランスだけでなく、私たちの時代の日本にも、この「反ユダヤ主義者」のような「話をもてあそぶことを楽しんでさえいる」人たちがいるでしょう。そう、それは「ネット右翼」や「某論破王」です。「ネット右翼」や「某論破王」の「議論」は、まさに「滑稽な理屈を並べることによって、話相手の真面目な調子の信用を失墜」させることを目的とするものです。

ネット右翼」や「某論破王」にとって、「自分達の話が、軽率で、あやふやであること」*2は問題ではありません。なぜなら、彼らは「相手の気勢を挫いたり、とまどいさせたりすること」ができればそれでいいからです。彼らは、建設的に議論をして妥当な結論を得る気なんてさらさらありません。だから、「ネット右翼」や「某論破王」相手にまともな議論は成り立たないのです。