葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

沖縄のみならず、韓国もまた「戦後日本の平和」の犠牲者である。

「戦後日本の平和」というものが沖縄の犠牲の上に成り立っていることを知っている日本人は、決して少なくないと思います。

しかし、沖縄のみならず、韓国もまた「戦後日本の平和」の犠牲者であることを知っている日本人は、いったいどれほどいるでしょうか。

憲法の「平和主義」は冷静体制下での米国の対アジア戦略の産物でもある。米国は、日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワークのもとに位置づけた。韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が「平和」を維持できたのは、在日米軍の七〇%以上を沖縄に駐屯させ、韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ。そして、この地域では、米国に与えられた役割に適合的な政治体制が必要であった。それが日本の自民党長期政権であり、韓国の反共軍事独裁政権であった。”(権赫泰『平和なき「平和主義」』)

日本の極右主義者たちは、韓国の市民が沖縄の反基地闘争に参加している*1ことをおかしいと言います。しかし、韓国の市民が沖縄の反基地闘争に参加していることは、なんらおかしいことではありません。なぜなら、米・日・韓三角軍事同盟の下では、日本の米軍基地問題は韓国の米軍基地問題に直結するものだからであり、そして、それはアジア全体の平和にかかわるものだからです。

また、日本の極右主義者たちは、よくベトナム戦争に参戦した韓国の戦争責任をあげつらいます。もちろん、韓国政府がベトナム戦争で韓国軍が犯した罪について責任を負うべきことは、日本の極右主義者たちに言われるまでもありません。しかし、日本人は、韓国の戦争責任をあげつらうよりも、まずは米・日・韓三角軍事同盟の下でベトナム戦争に加担し、その「恩恵」にあずかった日本も戦争責任を逃れられないことを自覚すべきです。

おそらく日本人の多くは、未だ朝鮮戦争終結せず、徴兵制がある韓国と比べて、日本はなんて平和なのだろう、と思っていることでしょう。しかし、その「戦後日本の平和」というものが、日本人が(傲慢に満ちた)憐憫のまなざしを送る韓国の犠牲の上に成り立つものであるであることを、日本人はよく知るべきです。そして、日本国憲法が掲げる「平和主義」の理念は、沖縄と韓国がアメリカと日本によって負わされている軍事的リスクから解放されてこそ、真に実現可能となるのだということを、日本人はよく知るべきです。

 

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