葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

差別を乗り越えるべきなのは、日本社会とそのマジョリティである。

「日本人じゃない」と突きつけられた過去――水原希子、自分らしさとの葛藤の先に - Yahoo!ニュース

 

まずはじめにお断りしておきますが、私は、水原さんの経験や考えを否定するつもりは毛頭ありません。私が言いたいのは、差別は差別されるマイノリティが努力して乗り越えるべき問題ではないということです。

差別は、社会の構造的問題です。水原さんが「無理に日本人ぽく振る舞ってた」のも、彼女自身には何一つ非はありません。日本社会の差別構造が、「無理に日本人ぽく振る舞」うことを水原さんに強いたのです。そして、日本社会の差別構造を作り上げ、これを温存しているのは、日本社会のマジョリティです。つまり、本当に差別を乗り越えるべきなのは、「無理に日本人ぽく振る舞」うことを水原さんに強いた日本社会と、そのマジョリティなのです。

水原さんの言葉に触れたマジョリティの中には、「マイノリティは、差別されたと文句を言う前に、水原さんのように自分の心持ちを変える努力をしたらどうだ」と言う人が少なからずいるかもしません。しかし、水原さんの経験や考えを尊重するのはともかく、彼女の経験や考えをマジョリティが「免罪符」にするのは言語道断です。水原さんがつらい思いをした過去を乗り越えたからといって、マジョリティが差別を乗り越えなくてもよいということには決してなりません。

"黒人作家のリチャード・ライトが最近、言っている。「合衆国には、黒人問題など存在しない。あるのは白人問題だ」と。これと同様に、われわれは、反ユダヤ主義は、ユダヤ人の問題ではない、われわれの問題であると言うことが出来よう。"(J-P.サルトルユダヤ人』)

日本社会の差別問題は、日本社会のマジョリティの問題です。つまり、変えるべきはマイノリティの心持ちではなく、マジョリティの意識であり、マジョリティが作り上げた日本社会の差別構造なのです。

“日本の天皇イデオロギーや民族排外主義について、僕があえて権力の側がつくったものという面を強調してきたのは、日本人の太閤以来変らぬ民族性といったようないい方は問題の本質をかえってムードでぼかしてしまうと思うからです。人がつくったものだから、われわれはこれをこわしていくことができるのです。”(梶村秀樹『排外主義克服のための朝鮮史』)