葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

外国籍であることは、生存権侵害を正当化する理由にはならない。

「外国籍理由に生活保護却下は違法」 ガーナ人男性が千葉市提訴 | 毎日新聞

 

千葉市が外国籍であることを理由にガーナ国籍の男性の生活保護申請を却下したことは、国籍による差別であり、生存権侵害であると言わざるを得ません。

たしかに、2014年に最高裁は、生活保護法第1条及び第2条がその適用の対象を「国民」と定めていることから「外国人は、行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護の対象となり得るにとどまり、生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく、同法に基づく受給権は有しない」との判断を示しました*1(なお、この判決が「外国人への生活保護は違法と判決を下した」ものだとするのは誤りです*2。)。しかし、この最高裁の判断は、生活保護制度が生存権の保障(憲法25条)を具体化したものであり、生存権が人権であることを軽視するものであって、妥当ではありません。

生存権憲法上の人権であり、人権は「人種、性、身分、国籍などの区別に関係なく、人間であることに基づいて当然に享有できる権利」です(人権の普遍性)。つまり、人権である生存権は普遍的な権利なのですから、生活保護申請者が外国籍であることは、生存権侵害を正当化する理由には決してならないのです。

前述のとおり、生活保護制度は普遍的な権利である生存権を具体化したものですから、「国民」の文言に拘泥するべきではなく、生活保護法第1条及び第2条で規定する「国民」とは、日本国内に住む外国人を広く含むものであると解すべきです。また、そのように解することは、日本も批准している*3経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)第9条*4(この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める。)の趣旨に鑑みても妥当です。

外国人の生活保護を否定する論者は、よく「外国人の生活保護は出身国がやるべきことだ」と言います。しかし、人権は「国民の権利」ではなく人間の権利ですから、日本国は人権である生存権を守る責任を「国民」ではなく人間に対して負っています。また、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」については、現時点における生活の本拠こそが重要なのであって、国籍は重要ではありません。それゆえ、日本で生活している外国人の生活保護は、日本国の責任において実施すべきことなのです。

以上より、私は、千葉市によるガーナ国籍の男性に対する生存権侵害に断固として抗議します。そして、生存権保障における国籍差別の撤廃を求めます。