葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

私たち労働者が「低所得」なのは、私たちの「努力」や「能力」が足りないからではない。

資本主義社会では、私たち労働者が「低所得」なのは、私たちの「努力」や「能力」が足りないからだということがまことしやかに言われます。しかし、それは私たち労働者を賃金奴隷として疎外された労働に繋ぎ止めておくための、いわば「呪いの言葉」です。

私たち労働者が「低所得」なのは、資本主義的搾取という構造的暴力のせいであって、決して私たちの「努力」や「能力」が足りないからではありません。それでも、もし私たち労働者にこの資本主義社会で足りない「努力」があるとすれば、それは資本主義的搾取という構造的暴力を肯定してこれに加担し、自分以外の労働者を踏みつけたり蹴落としたりする「努力」でしょう。そのような「努力」をすれば、私もブルジョアプチブルのおこぼれに与ることによってそれなりに懐を肥やすことができるかもしれません。しかし、私はそのような「努力」はしたくありませんし、それは左翼である私のすべきことではありません。

「おまえが『低所得』なのは、おまえの『努力』や『能力』が足りないからだ」とのたまうペテン師たちは、つまるところ資本主義的搾取の構造を温存したいのです。私たち労働者が、そんなペテン師たちの「呪いの言葉」を真に受けて自責の念に囚われてしまえば、それこそ資本主義的搾取の構造を温存したい連中の思う壺です。それに、資本主義的搾取の構造においてブルジョアたちが私たち労働者に求める「努力」や「能力」は、つまるところブルジョアたちの懐を肥え太らせるためのものですから、私たち労働者がブルジョアたちの要求に応じたところで、得るものよりも失うものの方がはるかに大きいでしょう。

ペテン師たちが吐く「おまえが『低所得』なのは、おまえの『努力』や『能力』が足りないからだ」という「呪いの言葉」に囚われ、自分を責めて傷つけるのは、もうお終いにしましょう。私たち労働者が、自分たちのために本当にすべきことは、資本主義的搾取の構造という「暴虐の鎖」を断ち、資本主義的搾取という構造的暴力に満ちたこの世界を変えることです。もちろん、それは一人の力だけでできることではありません。しかし、私たち一人ひとりの力を合わせれば、必ず成し遂げることができるはずです。

万国の労働者よ、団結せよ!