葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「唯一の戦争被爆国」という忘却のための「被爆ナショナリズム」

特集 | 中国新聞デジタル

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核兵器禁止条約に日本が署名・批准すべきことについては、もちろん私も異論はありません。ただ、核兵器廃絶を訴えるメッセージで多用される「唯一の戦争被爆国(である日本)」という言葉に、私はどうしても違和感を覚えてしまいます。

アメリカが広島と長崎に投下した原爆によって被爆したのは、「国」という幻想の共同体ではなく、実存する(した)「人」です。そして、被爆した「人」は、決して「日本人」だけではありません。すなわち、原爆被害者の中には、日帝のアジア侵略や植民地支配がなければ原爆被害に遭わなかったであろう人たちもいます*1。しかるに、「日本という国」が被爆者だとする「唯一の戦争被爆国(である日本)」という言葉は、「国民」にそういったことを忘れさせてしまいます。つまり、それはいわば忘却のための「被爆ナショナリズム」です。

被爆ナショナリズム」が忘れさせるのは、原爆被害者が「日本人」だけではないということだけではありません。広島では、平和記念公園が「ヒロシマ」の悲劇を語り継ぐ一方で、大和ミュージアムが「軍都廣島」の栄光を誇ります*2。また、長崎では、「平和都市ナガサキ」の市長が核兵器の廃絶と世界の恒久平和を訴えながら*3、その同じ口で(強制連行された朝鮮人労働者たちに「地獄島」と呼ばれた*4軍艦島朝鮮人・中国人強制労働について「島は決して地獄島と表現されるような状況ではなかった」と平気でのたまいます*5。つまり、「被爆ナショナリズム」は、「日本という国」を原爆被害者のポジションに置き、原爆被害という日本の戦争被害を強調することで、日本の戦争加害の歴史を忘れさせるのです。

ヒロシマナガサキ」を記憶するのは、決して「軍都廣島」や「地獄島」を忘却するためではありません。世界の恒久平和を実現するには、世界の国々が核兵器使用という過ちを犯さないために被爆体験を継承することももちろん大切ですが、それだけではなく、日本が侵略戦争や植民地支配といった過ちを再び犯さないために日本の戦争加害の記憶を継承しなければなりません。そして、そのためには忘却のための「被爆ナショナリズム」を克服しなければなりません。つまり、「ヒロシマナガサキ」がめざす真の世界恒久平和は、忘却のための「被爆ナショナリズム」を超えた先にあるのです。