葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「長崎平和宣言」は、軍艦島の朝鮮人・中国人強制労働を忘れるための免罪符ではない。

「核兵器、持っていても使われないは幻想」長崎平和宣言、田上市長 | 毎日新聞

mainichi.jp

長崎平和祈念式典で田上富久・長崎市長が読み上げた「長崎平和宣言」は、もちろん大変素晴らしいものです。しかるに、このような素晴らしい平和宣言を読み上げた田上市長が、どうして軍艦島朝鮮人・中国人強制労働という厳然たる歴史的事実を平気で否定できるのでしょうか。

太平洋戦争中の長崎市軍艦島端島)を舞台に、過酷な炭鉱労働を強いられた朝鮮人徴用工らが集団脱走を図る韓国映画軍艦島」に関し、田上富久市長は6日の市議会一般質問で「島は決して(映画で)地獄島と表現されるような状況ではなかった」と述べ、市のホームページ(HP)上で当時の島の実情について4カ国語で発信する考えを示した。

 

「軍艦島は地獄ではない」 韓国映画に長崎市長反論 当時の実情、4ヵ国語で発信へ|【西日本新聞me】

平和宣言のなかで述べられている「広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます」というのは、たしかにその通りです。しかし、戦争が苦しめるのは「私たち市民社会に暮らす人間」だけではありません。日帝侵略戦争と植民地支配は、差別され日本社会から疎外された「監獄島」軍艦島朝鮮人・中国人労働者を苦しめました。そして、軍艦島で強制労働によって朝鮮人・中国人労働者の人権が蹂躙されたのは、まさに日帝侵略戦争と植民地支配があったからでした。「長崎平和宣言」は、軍艦島朝鮮人・中国人強制労働、そしてその元凶たる日帝侵略戦争と植民地支配を忘れるための免罪符ではありません。

 その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
 「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」。 
 核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。

 

 

この海の下が炭坑です。エレベーターで竪坑を地中深く降り、下は石炭がどんどん運ばれて広いものですが、掘さく場となると、うつぶせで掘るしかない狭さで、暑くて、苦しくて、疲労のあまり眠くなり、ガスもたまりますし、それに一方では落盤の危険もあるしで、このままでは生きて帰れないと思いました。落盤で月に四、五人は死んでいたでしょう。今のような、安全を考えた炭坑では全然ないですよ。死人は端島のそばの中ノ島で焼かれました。今も、そのときのカマがあるはずです。こんな重労働に、食事は豆カス八〇%、玄米二〇%のめしと、鰯を丸だきにして潰したものがおかずで、私は毎日のように下痢して、激しく衰弱しました。それでも仕事を休もうものなら、監督が来て、ほら、そこの診療所が当時は管理事務所でしたから、そこへ連れて行って、リンチを受けました。どんなにきつくても「はい、働きに行きます。」と言うまで殴られました。「勝手はデキン」と何度聞かされたことでしょう。(中略)軍艦島なんていっていますが、私に言わせれば、絶対に逃げられない監獄島です。

 

強制労働被害者・徐正雨さんの証言(長崎在日朝鮮人の人権を守る会編『軍艦島に耳を澄ませば 端島に強制連行された朝鮮人・中国人の記録』28頁)*1

田上市長、思い出すのも苦痛な「地獄島」での体験から発せられた軍艦島の強制労働被害者の証言が聴こえますか。戦後の「平和国家」日本の政府や多くの国民から無視され続けてきた、そして今もなお日本の政府や多くの国民によって尊厳を踏みにじられ続けている、軍艦島の強制労働被害者の悲痛の声が。