葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

朝鮮学校差別という人権侵害に加担する「人権の最後の砦」

朝鮮学校の授業料無償化訴訟 最高裁上告退ける 全国すべて敗訴 | 教育 | NHKニュース

 

「人権の最後の砦」とも言われる最高裁判所ですが、その最高裁判所が日本政府による朝鮮学校差別という人権侵害に「司法のお墨付き」を与えたことは、「人権の最後の砦」が政府による人権侵害に加担したと言っても過言ではありません。

日本政府あるいは地方自治体による朝鮮学校差別は、子どもの権利条約*1が保障する「民族教育を受ける権利」(28条・30条)の侵害という、国際法に違反する人権侵害です*2。それゆえ、国連子どもの権利委員会も日本政府に対して差別の是正を勧告しています*3。しかるに、最高裁判所が、そのようなれっきとした人権侵害に「司法のお墨付き」を与えたことは、「人権の最後の砦」としての責務を自ら放棄したものであると言わざるを得ません。

日本政府は、「『北朝鮮』による日本人拉致問題や核問題」あるいは「朝鮮学校の教育内容」を理由に朝鮮学校差別を正当化しています。しかし、それらは決して朝鮮学校差別を正当化する理由にはなりません。日本の政府や地方自治体は、戦後間もない頃(1950年前後)から今日に至るまで、(美濃部都政のような若干の例外はあるものの*4)ほぼ一貫して在日コリアンの民族教育を弾圧し*5、あるいは朝鮮学校を差別してきました。一方、日本政府が朝鮮学校差別を正当化する理由として挙げる「『北朝鮮』による日本人拉致問題や核問題」が発覚したのは、拉致問題が1980年頃*6、核問題が1990年代前半*7です。つまり、日本の政府や自治体は、「『北朝鮮』による日本人拉致問題や核問題」が発覚するずっと前から在日コリアンの民族教育を弾圧し、あるいは朝鮮学校を差別してきたのであって、「『北朝鮮』による日本人拉致問題や核問題」というのは、朝鮮学校を差別するための「後付けの言い訳」でしかないということです。また、たとえ朝鮮学校の教育内容に何らかの問題があったとしても、それは民族教育の当事者である在日コリアンが議論して解決すればよいだけの話であって、日本政府の朝鮮学校差別を正当化する理由にはなりません。

そもそも、在日コリアンの民族教育を必要ならしめたのは、かつての日帝による朝鮮植民地支配です。それを考えれば、日帝による朝鮮植民地支配について責任を負う日本政府は、その責任を果たすべく在日コリアンの民族教育を支援するのが道理です。しかるに、在日コリアンの民族教育を支援するどころか、在日コリアンの民族教育を弾圧し、あるいは朝鮮学校を差別するというのは、無理非道であると言わざるを得ません。

日本国民の多くは、「朝鮮学校無償化除外問題」を朝鮮学校朝鮮総聯の関係や朝鮮学校の教育内容といった朝鮮学校の問題であると思っていることでしょう。しかし、「朝鮮学校無償化除外問題」は、決して朝鮮学校の問題ではありません。それは、日本社会の構造的差別という日本社会の問題です。つまり、「朝鮮学校無償化除外問題」は、日本社会のマジョリティである日本国民自身の問題なのです。私は、日本社会のマジョリティの一人として、朝鮮学校差別に断固反対します。