葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「戦後平和主義者」の被害者意識

いわゆる「戦後平和主義」を守らんとする人の中には、「憲法9条を変えると日本が戦争に巻き込まれる」あるいは「在日米軍基地のせいで日本が標的にされる」と訴える人が少なくありません。

たしかに、彼ら「戦後平和主義者」の言うことにも一理あります。しかし、なぜ「戦後平和主義者」は、「日本が戦争に巻き込まれる」だとか「日本が標的にされる」だとか、日本が戦争の被害者になることしか想定しないのでしょうか。

もちろん、空襲被害や原爆被害といった、「先の大戦」における日本の戦争被害を否定するつもりはありません。しかし、日本は戦争の被害者である前に、何よりもまずアジアを侵略した戦争の加害者です。それを考えれば、9条改憲在日米軍基地のせいで日本が戦争の被害者になることを心配する前に、何よりもまず日本が再び戦争の加害者になることを懸念するのが、「戦後平和主義者」のとるべき正しい態度でしょう。それとも、「戦後平和主義」は、日本人が日本の戦争加害を忘れるためのものなのでしょうか。

「戦後平和主義者」は、「戦後の日本は憲法9条のおかげで戦争せずに済んだ」とよく言います。しかし、それは半分正しく、半分間違いです。すなわち、たしかに戦後の日本は、憲法9条のおかげで自らの手を血に染めずに済みました。しかし、朝鮮戦争ベトナム戦争を考えればわかるように、日本は、憲法9条があるにもかかわらずアメリカの戦争に加担し、その「恩恵」にあずかってきました*1。そして、今もなお日本は、憲法9条があるにもかかわらずアメリカの戦争に加担しようとしている*2のです。「来るべき戦争」では、おそらく日本は自らの手を再びアジア人民の血で汚すことになるでしょう。

憲法9条を変えると日本が戦争に巻き込まれる」あるいは「在日米軍基地のせいで日本が標的にされる」と訴える「戦後平和主義者」の皆さんは、ぜひ認識を改めてください。憲法9条を変えると日本が戦争に巻き込まれるのではなく、日本が再びアジアを戦争に巻き込むのです。在日米軍基地のせいで日本が標的にされるのではなく、在日米軍基地から出撃する米軍によって無辜の人民が殺されるのです。

「戦後平和主義者」は、もういいかげん「日本が戦争に巻き込まれる」だとか「日本が標的にされる」だとかといった「被害者意識」を捨てるべきです。「戦後平和主義」を、過去の日本の戦争加害を忘却し、あるいは現在の日本の戦争加害を正当化するための「免罪符」にしてしまわないためにも。そして、「われわれ」が再び同じ過ちを犯さないようにするためにも。