葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本は、本当に「法の支配」を共有する国であるといえるか。

首相 国際会議でメッセージ 法の支配に基づく秩序の重要性強調 | NHKニュース

 

安倍政権以降、日本政府はしばしば「国際社会における法の支配」ということを主張しています。その趣旨は、「力による現状変更を排斥する国際法による支配」ということのようです。

たしかに、「法の支配」という理念は多義的であり*1、「法の支配」という言葉を「力による現状変更を排斥する国際法による支配」という意味で用いることも決して間違いではないでしょう。しかし、公法学における「法の支配」の本来的な意味に鑑みると、日本が本当に「法の支配」を共有する国であるといえるかは甚だ疑問です。

公法学における「法の支配」の本来的な意味は、「専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し,権力を法で拘束することによって,個人の権利・自由を擁護することを目的とする原理」です。そして、個人の権利・自由を擁護することを目的として権力を拘束する「法」とは、具体的には憲法であり、それゆえ「法の支配」の下では、国家権力は憲法を遵守しなければなりません。しかるに、日本政府は、憲法を遵守するどころか、例えば戦争法案について、これを違憲だとする学識者*2や専門家*3の声を無視して憲法9条を骨抜きにする解釈改憲を行うといったように、憲法を蔑ろにしています。そもそも、憲法9条がある以上、日本は軍隊を持てないはずです。しかし、現実には自衛隊を称する日本軍が、まるで憲法9条などないかのようにアメリカをはじめとする帝国主義諸国の軍隊と「対中戦争」に向けて訓練を行っています*4。このような日本政府の態度に鑑みると、「力による現状変更を排斥する国際法による支配」という意味の「法の支配」はともかく、本来的な意味での「法の支配」を日本が共有しているとは到底言えません。

ところで、かつての日帝による朝鮮植民地支配について、日本政府はこれを当時の国際法に照らして合法だったとしています*5。しかし、日本軍による朝鮮王宮占領や抗日義兵運動の鎮圧といった史実に鑑みれば、日帝による朝鮮植民地支配はまさに「力による現状変更」だったと言わざるを得ません。つまり、日本政府は、「国際法による支配」を「力による現状変更」の正当化に利用しているのです。こうしてみると、はたして日本が「力による現状変更を排斥する国際法による支配」という意味の「法の支配」を共有しているかどうかも疑わしいところです(普遍的な理念である「法の支配」に照らせば、「当時の国際法」がどうであれ、「力による現状変更」を排斥すべきことに変わりはないはずです。)。

ともあれ、日本政府は、中国政府の「力による現状変更」をあげつらう前に、まずは「法の支配」の下で憲法9条を遵守すべきです。そして、「国際法」を「錦の御旗」として*6「力による現状変更」を目論む自らの帝国主義的欲望を戒めるべきです。