葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本人が「遠いよその国の悲劇」を通じて確かめるべきこと

「あそこのことをみんなが大きな声でしゃべるのは遠いよその国だからなのよ。政治問題は遠い国のことほど単純に、壮絶にしゃべりたくなるものなのよ。自分の国のことになると一ミリも振動でもびくびくしてたちまち口ごもってしまうくせに、そうなのよ。つまり、きれいに苦悩できるのよ。」(開高健『夏の闇』)

「『平和』で『民主的』な『戦後日本』」が誕生してから70年近くを経た今日でも、世界各地では悲惨な戦争が後を絶たず、また自由と民主主義を求める人民たちの闘いが国家の暴力によって無残に押しつぶされています。

そうした「遠いよその国の悲劇」にマスメディアを通じて触れた日本人は、きっと「それに比べて、日本は何と『平和』な国だろうか」、あるいは「それに比べて、日本は何と『成熟した民主主義の国』だろうか」と言うことでしょう。しかし、日本人が「遠いよその国の悲劇」を通じて確かめるべきことは、本当に「『遠いよその国』に比べて、『戦後日本』がいかに『平和』で『民主的』な国であるか」なのでしょうか。

このように問えば、良心的な日本人からは「『戦後日本』の『平和』は、『われわれ』のかけがえのない宝である憲法9条によって守られてきた。その9条が変えられてしまったら、日本は再び戦争に巻き込まれる。『遠いよその国の悲劇』は、決して他人事ではなく『未来の日本の悲劇』かもしれないのだ」、あるいは「『戦後日本』の『われわれ』にとってかけがえのない宝である『民主主義』も、これを守る努力を怠れば瞬く間に失われれてしまう。現に、アベ・スガの暴政によって『われわれ』の尊い『民主主義』が失われようとしているではないか。『遠いよその国の悲劇』は、決して他人事ではなく『未来の日本の悲劇』かもしれないのだ」という答えが返ってくるかもしれません。もちろん、「遠いよその国の悲劇」が他人事ではないというのはそのとおりです。しかし、私が言いたいのは、そういうことではありません。

たしかに、「戦後日本」は、「平和憲法を持つ国」ですし、「自由民主義体制をとる国」です。しかし、「戦後日本」は、「平和憲法を持つ国」であるにもかかわらず、これまで朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争アフガニスタン紛争、イラク紛争……等といった数々の「盟主」アメリカの戦争に加担し、その「恩恵」にあずかってきました。そして、今もなお「安全保障」に名を借りた日米軍事同盟の下で「盟主」アメリカの戦争に加担し続けています。また、「戦後日本」は、「自由民主義体制をとる国」であるにもかかわらず、人民の自由を抑圧する反民主主義的な天皇制が装いを変えて今もなお存続しています。つまり、日本人が「遠いよその国の悲劇」を通じて確かめるべきなのは、「『遠いよその国』に比べて、『戦後日本』がいかに『平和』で『民主的』な国であるか」ということではなく、「『遠いよその国の悲劇』に、『平和憲法を持つ国』であるはずの『戦後日本』がどれほどかかわり、その『恩恵』にあずかっているか」、あるいは「『戦後日本』は本当に、自由と民主主義を求める人民たちの闘いが国家の暴力によって無残に押しつぶされている『遠いよその国』とは違って『成熟した民主主義の国』なのだろうか。すなわち、『戦後日本』は本当に、未だ民主化を成し遂げられずにいるその『遠いよその国』とは違って、民主主義の主役である人民の力によって既に民主化を成し遂げたのだろうか」ということです。

もし「戦後平和主義」が、継続する日本の戦争加害を隠蔽し忘却させ、「戦後民主主義」が日本の真の民主化を妨げるのだとすれば、なんとも皮肉なことであると言わざるを得ません。「戦後日本」の「われわれ」が、本当に平和と民主主義を希求するのであれば、やはり「戦後平和主義」と「戦後民主主義」を問い直すことが必要です。「『平和』で『民主的』な『戦後日本』」は、決して「歴史の終わり」ではありません。