葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

朝日新聞は、一体いつまで日本軍性奴隷制問題を「日韓『歴史』対立」だと言い続けるのか。

(社説)日韓「歴史」対立 融和へ果断な行動を:朝日新聞デジタル

 

朝日新聞は、一体いつまで日本軍性奴隷制問題(日本軍「慰安婦」問題)を「日韓『歴史』対立」だと言い続けるのでしょうか。

韓国政府の言うとおり*1、日本軍性奴隷制問題は「普遍的な人権問題」です。私も、拙ブログでそのことをこれまで繰り返し述べてきました。

日本軍性奴隷制問題において、日本と韓国の間に「歴史」の対立はありません。なぜなら、「歴史問題」としてそこにあるのは、日本軍性奴隷制度が女性に対する深刻な人権侵害を引き起こしたという歴史的事実を日本の政府と国民が共有するか否か、だからです(この点については、残念ながら日本の政府も国民の多くも、日本軍性奴隷制度が女性に対する深刻な人権侵害を引き起こしたという歴史的事実を共有していないのが現状と言わざるを得ません。)。そして、そもそも日本軍性奴隷制問題は、前述したように「普遍的な人権問題」です。それゆえ、あえて「対立」ということを言うならば、そこで対立しているのは「人権」と「反人権」です。

朝日新聞は、日本軍性奴隷制問題を「国民感情が絡み合う歴史問題」だと言いますが、それは大きな誤解です。日本軍性奴隷性問題は、「国民感情が絡み合う歴史問題」などではなく、人権という国際社会共通の普遍的な価値*2を共有するかどうかの問題です。それとも、朝日新聞は、人権という国際社会共通の普遍的な価値を共有しないことが日本国民の「国民感情」に沿うとでも言うのでしょうか。もっとも、世論に鑑みると、日本軍性奴隷制問題に関しては、人権という国際社会共通の普遍的な価値を共有しないことが日本国民の「国民感情」に沿うのかもしれませんが。

先日の三一節で文在寅大統領が「(日本軍性奴隷制)被害者の名誉と尊厳を回復するためにも最善を尽くします」と述べた*3ことについて、朝日新聞は「その言葉を行動で示してほしい。文氏は直近の歴史問題への対応策を具体化し、速やかに日本との協議を始めるべきだ」と主張していますが、これは傲慢な勘違いです。日本軍性奴隷制問題は、日本軍による女性の人権侵害の問題であり、それについて第一義的に責任を負うのは日本政府です。そして、日本軍性奴隷制問題が一向に解決しないのは、日本政府が日本軍性奴隷制被害者に対する法的責任を一向に果たそうとしないからです。それを棚に上げて文在寅大統領に責任転嫁するのは、日本政府の責任逃れに加担するものであることを、朝日新聞は自覚しているのでしょうか。

「歴史の事実を回避するような態度は、慰安婦問題での日本政府としての考え方を表明した、1993年のいわゆる『河野談話』にも逆行する」と日本政府を批判する朝日新聞は、どうやら日本軍性奴隷制度が女性に対する深刻な人権侵害を引き起こしたという歴史的事実を日本の政府と国民が共有するかどうかの問題であることは分かっているようです(それなのに、どうして朝日新聞は日本軍性奴隷制問題を「日韓『歴史』対立」だと言い続けるのでしょうか。)。しかし、日本軍性奴隷制問題は、単に日本政府が歴史の事実を回避しなければよいという問題ではありません。日本軍性奴隷制度が女性に対する深刻な人権侵害を引き起こしたという歴史的事実を日本の政府と国民が共有することは、それ自体が目的ではありません。つまり、それは日本軍が犯した戦時性暴力について日本政府が法的責任を果たし、二度と同じ過ちを繰り返さないために必要なことなのです。朝日新聞のみならず、リベラル派の多くが称賛する「河野談話*4ですが、たしかに「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」点は評価に値するものの、法的責任を回避することで日本政府の責任をあいまいにするものである点に鑑みると、私は「河野談話」を手放しで称賛することはできません。

日本軍が犯した戦時性暴力について日本政府が法的責任を果たすためには、その前提として日本による朝鮮植民地支配の不法性を認めなければなりません。日本政府が日本軍性奴隷制被害者に対する法的責任を一向に果たそうとしないのは、つまるところ日本による朝鮮植民地支配の不法性を認めたくないからです。しかし、植民地支配について「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」した、いわゆる「村山談話*5を今の日本政府も承継しているのであれば、日本政府は日本による朝鮮植民地支配の不法性を認めて日本軍性奴隷制被害者に対する法的責任を果たすことができるはずです。それとも、「村山談話」は、植民地支配について「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」しているにもかかわらず、日本による朝鮮植民地支配の不法性とそれに関する日本政府の法的責任を認めるものではないのでしょうか。もしそうであれば、「村山談話」も日本軍が犯した戦時性暴力について日本政府が負うべき責任をあいまいにするための方便であると言わざるを得ません。

繰り返しになりますが、植民地支配について「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」した、いわゆる「村山談話」を今の日本政府も承継しているのであれば、日本政府は日本による朝鮮植民地支配の不法性を認めて日本軍性奴隷制被害者に対する法的責任を果たすことができるはずです。朝日新聞は、文在寅大統領に対して偉そうに「言葉を行動で示せ」と言う前に、日本政府に対して「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」というその言葉を行動で示せと言うべきです。そして、それこそが「日本を代表するリベラル紙」と評される朝日新聞の矜持であると、私は朝日新聞の一読者として思います。