葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

民族差別煽動デマを「冗談」の一言で済ませてはならない。

地震でまたも飛び交ったデマや差別発言 桁違いの拡散、どう対処? - 毎日新聞

mainichi.jp

大規模な災害が起きるたびに、SNSなどインターネット上では、関東大震災直後に多数の朝鮮人や中国人が虐殺された事件(「1923年関東大震災ジェノサイド」)*1の引き金となった「○○人が井戸に毒を入れた」というデマを模倣した民族差別煽動デマが流されます。このような民族差別煽動デマが卑劣かつ危険なものであることは、先に述べた事件を想起すれば容易に分かるはずです。それにもかかわらず、そのような民族差別煽動デマを「つまらない冗談ではあるが、それは決して民族差別煽動ではない」と言う人が少なからずいるというのは、本当に由々しきことです。

たしかに、デマの張本人は「ほんの軽い冗談」のつもりなのでしょう。しかし、だからといって卑劣かつ危険な民族差別煽動デマを「冗談」の一言で済ますことは許されません。「○○人が井戸に毒を入れた」というデマは、特定の民族や国籍に属する人々を敵視して罪人扱いするものであり、そして民衆の憎悪を特定の民族や国籍に属する人々に向けさせるものです。したがって、「○○人が井戸に毒を入れた」というデマは、たとえそれが現代においていかに荒唐無稽なものであっても、民族差別煽動以外の何ものでもありません。

民族差別煽動デマを「冗談」の一言で済まそうとする人たちは、きっと自分たちが中立的な立場にいるものと思っていることでしょう。しかし、卑劣かつ危険な民族差別煽動を「冗談」に矮小化する彼らは、民族差別煽動の立派な「共犯者」です。また、彼らは「冗談」に対して真剣に怒る人たちを冷笑することで、自分が利口な人間であることをアピールしたいのかもしれません。私は、そんな利口ぶった冷笑家気取りの輩に嗤われようとも、卑劣かつ危険な民族差別煽動デマを絶対に許しません。何度でも言います。「○○人が井戸に毒を入れた」というデマは、「冗談」の一言で済ませてはならない、卑劣かつ危険な民族差別煽動です。

そもそも「ほんの軽い冗談のつもりだった」というのは、何の言い訳にもなりません。「○○人が井戸に毒を入れた」というデマはれっきとした民族差別煽動ですが、民族差別が娯楽として軽い気持ちで消費されるというのは、実に恐ろしいことです。しかも、「○○人が井戸に毒を入れた」というデマは、冒頭で述べたように「1923年関東大震災ジェノサイド」を引き起こしたものです。それが「ネタ」と称されて軽々しく娯楽として消費され、「冗談」の一言で許されてしまうというのは、日本人の多くが「1923年関東大震災ジェノサイド」に真摯に向き合ってこなかったことを如実に表しています。日本人の多くが「1923年関東大震災ジェノサイド」に真摯に向き合ってこなかったこと、それはつまり、「1923年関東大震災ジェノサイド」が、まさに「今ここにある危機」だということです。だから私は、どんなに冷笑されようとも、卑劣かつ危険な民族差別煽動デマを絶対に許しません。