葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

実のところ、安倍氏を首相に選んだのは国民ではない。

とどまるところを知らない安倍政権の暴政について、リベラル派の中には「安倍を首相に選んだ国民が悪い」と言う人が少なからずいます。たしかに、日本が民主主義国家であれば主権者たる国民の責任が全くないということはありません。しかし、日本では国民が首相を選挙によって直接的に選ぶ首相公選制を採用していないのですから、国民が安倍氏を首相に選んだというのは誤解です。

安倍氏が首相であるのは、国会の多数派である政権与党によって選ばれたからです(憲法67条1項参照)。つまり、それは国民の多数が自民党公明党を政権与党に選んだ結果であり、安倍氏が首相であることについて国民に問題があるとすれば、それは国民の多数が自民党公明党を政権与党に選んだ点です。

もっとも、国民に問題があるといっても、自民党公明党を政権与党に選んだのはあくまでも「国民の多数」ですから、私のように自民党公明党を政権与党に選んでいない政治的少数派も「責任」を問われるというのは、なんだか腑に落ちません。そもそも、政治的少数派が問われる「責任」とは、いったいどのようなものでしょうか。もしや、選挙という〈ゲーム〉で負けたことの責任でしょうか。「有権者の責任」という言葉を口にする人は少なくありませんが、その「責任」がいったいどのようなものであるかは、なかなかの難問だと思います。

それはさておき、安倍氏が首相であるのが、国民の多数が自民党公明党を政権与党に選んだ結果であれば、安倍政権の暴政を終わらせるために国民ができることの一つは、選挙を通じて自民党公明党を政権与党である現状を変えることでしょう。もしかすると、自民党公明党を政権与党である現状を変えなくても安倍氏が首相を辞めればそれでいいと思っている人もいるかもしれません。しかし、安倍氏を首相に選んだのは政権与党なのですから、自民党公明党を政権与党である現状を変えなければ本質的には何も変わらないでしょう。「アベ政治」は自民党政治が突然変異して生まれた怪物などではなく、まさしく自民党政治が先鋭化したものなのですから。それに、安倍氏を首相に選んだのが政権与党である以上、政権与党には下野という形でしっかりと責任を取らせなければなりません。

ただ、そうはいっても選挙によって自民党公明党を政権与党である現状が変わる保証はありませんし、有権者の皆が選挙へ行けば自民党公明党を政権与党である現状が変わるかどうかは、私には分かりません。もちろん、選挙が安倍政権の暴政を終わらせるための有効な手段であることは否定しません。しかし、それだけで「変える」ことができるほど現実は甘くないでしょう。もっとも、そんなことは私がいまさらわざわざ言うことではないかもしれませんが。