あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

法治主義、ひいては民主主義を破壊する検察庁法の改悪は、絶対に許してはならない。


【サンデーモーニング】2020年5月10日放送 黒板解説「検察庁法改正案」解説:青木理

 

民主主義の下では、行政は国民を代表する議会が定めた法律に従って行われなければなりません(法治主義)。今般問題となっている、内閣提出の*1検察庁法の改正法案は、安倍政権のお気に入りである黒川弘務東京高検検事長が検察のトップである検事総長に就任できるようにするために、検察官の定年を引き上げるものです。これは、政権に都合よく法律をいじるものであって、このようなことが許されるとすれば、法治主義、ひいては民主主義は崩壊します。それゆえ、私たち日本の人民は、日本が民主主義国家だと言うのであれば、このような法治主義、ひいては民主主義を破壊する検察庁法の改悪を、絶対に許してはなりません。

もっとも、今般の検察庁法の改悪に反対する人の中には、「新型コロナウイルス禍で大変な時にやるべきことではない」と言う人も少なからず見受けられます。たしかに、今般の検察庁法の改悪は新型コロナウイルス禍との関係では、まさに「不要不急」でしょう。しかし、前述のとおり検察庁法の改悪は法治主義、ひいては民主主義を破壊するものですから、新型コロナウイルス禍で大変な時であろうとなかろうと、これを絶対に許してはならないのです。なお、今般の検察庁法の改悪は安倍政府だけが問題なのでなく、これを「数の暴力」で通そうとしている自民党公明党とその補完勢力である日本維新の会も、安倍政府と「同罪」です。

ところで、今般の検察庁法の改悪に反対する人の中には、安倍政権がお気に入りの検事長検事総長に就任させるための法改正を「安倍政権による司法介入だ」とう言う人が少なくありません。たしかに、検察は「準司法権的性格を有する」としばしば言われます。しかし、これは検察官が公訴権を独占し、刑事司法の重要な一翼を担っているからであり、検察が司法そのものであることを意味するものでありません。司法とは「具体的な争訟について、法を適用し宣言することによって、これを裁定する国家の作用」ですが、三権分立の下では、これを行うのは裁判所であり、検察官が行うのはあくまでも裁判所に法の正当な適用を請求することです(検察庁法第4条参照)。もちろん、今般の検察庁法の改悪は、公訴権を独占するがゆえに求められる検察官の独立性を揺るがすものです。ただ、三権分立の観点から問題があるとすれば、それは行政府(安倍政権)の司法介入ではなく、やはり行政府による法治主義の破壊です。

さて、前述したように今般の検察庁法の改悪は、公訴権を独占するがゆえに求められる検察官の独立性を揺るがすものです。しかし、たとえ検察庁が一般の行政機関とは異なる特別の機関(国家行政組織法第8条の3)として一定の独立性が確保されているといえども、あくまでも法務省に属する行政組織ですから、その独立性にはやはり限界があります。そこで参考にしたいのが、政権の圧力を受けないよう、通常の検察官の指揮命令系統から独立して捜査にあたる「特別検察官」の制度です。今般の検察庁法改悪問題のように政権によって検察官の独立性が揺るがされる昨今、アメリ*2や韓国*3に倣い、日本でも「特別検察官」制度を導入すべきです。