葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

自民党政権の悪政を何でもかんでも旧統一教会のせいにする「リベラル」派の無責任さ

統一教会自民党を支配している」と言ったり「自民党統一教会だ」と言ったりして自民党政権の悪政を何でもかんでも旧統一教会のせいにする「リベラル」派を気取った日本国民が相変わらず後を絶ちません。

統一教会自民党を支配していませんし、自民党は旧統一教会ではありません。自民党と旧統一教会の癒着は、決して一方的な支配関係ではなく、戦後の米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義という政治構造における、同じ理念を共有する者同士の利用関係が生み出したものです。そして、戦後の米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義体制の構築・発展という使命を果たすためならばカルト教団をも利用するような日本の政権与党、それが自民党です。旧統一教会は、あくまでも自民党が戦後の米国主導の東アジア国際秩序と天皇制国家を支える反共主義体制を維持・強化するために利用しているカルト宗教のうちの一つに過ぎません。

このような日本の政権与党である自民党の悪政は、他でもない日本の「内なる悪」であり、それは日本国民が「主権者」として向き合わなければならないものです。そうした日本の「内なる悪」である自民党政権の悪政を「統一教会自民党を支配している」と言ったり「自民党統一教会だ」と言ったりして日本の「外」からやってきた旧統一教会のせいにしてしまえば、日本国民は「主権者」として日本の「内なる悪」と向き合わずに済むのですから、たしかに気が楽でしょう。しかし、それは「主権者」としての責任放棄にほかなりません。そのような無責任な「主権者」たちが「統一教会から日本を、取り戻す」と息巻く姿には、ただただ呆れるばかりです。きっと彼らは「真の日本は平和で美しい国なのに、統一教会というサタンのせいで悪い国になってしまった」と思いたいのでしょう。しかし、日本が「統一教会というサタンのせいで悪い国になってしまった」というのは大きな勘違いです。なぜなら、先に述べた自民党の使命からわかるように、昭和天皇裕仁と支配層が腐心した「国体護持」(=天皇制の維持)*1の結果が、自民党政権の悪政がはびこる今の日本のこの体たらくだからです。このことを考えると、戦後の米国主導の東アジア国際秩序を支える反共主義体制とその究極目的である天皇制国家という「国体」を変えない限り、いつまでも日本の政権与党の悪政は続くでしょう。

ところで、旧統一教会に詳しい識者によれば、「植民地時代の民族的恨みを解くこととして、日本で資金を調達してそれを韓国に持ってきて世界的な活動に使う」ことが旧統一教会の本質を成しているそうです*2。もしそうなら、旧統一教会日帝の朝鮮植民地支配が生み出した「モンスター」だといえるでしょう。もちろん、旧統一教会による霊感商法献金の強要は、断じて許されるものではありません。しかし、そのことは、決して日帝の朝鮮植民地支配について日本国民が負う「責任」*3を帳消しにするものではありません。旧統一教会に詳しい識者が旧統一教会の本質だと言う「植民地時代の民族的恨みを解く」点は、まさに日本国民が真摯に向き合わなければならない日帝の朝鮮植民地支配という自国の「負の歴史」にかかわるものです。しかるに、日帝の朝鮮植民地支配という自国の「負の歴史」と真摯に向き合わなければならない日本の国民が旧統一教会の「植民地時代の民族的恨みを解く」点を非難するのは、盗人猛々しいと言わざるを得ません。自民党と旧統一教会の癒着の問題にかこつけて韓国を「悪魔視」するネット右翼や一部のリベラル派は、旧統一教会について「天皇をサタン呼ばわりする反日カルト教団が日本を食い物にしている」と言いますが、「天皇の国」が朝鮮を食い物にしたことを棚に上げてよくそんなことが言えたものです。

先にも述べましたが、日本の政権与党である自民党の悪政は、他でもない日本の「内なる悪」であり、それは日本国民が「主権者」として向き合わなければならないものです。しかるに、「主権者」である日本国民が、日本の「内なる悪」である自民党政権の悪政を何でもかんでも日本の「外」からやってきた旧統一教会のせいにして日本の「内なる悪」と向き合うことを避けているようでは、いつまでも日本は自民党政権の悪政がはびこったままです。